こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

ネット上の中傷コメはズレた答案の反面教師

ネット上のニュースで、コメントをする欄がありますよね。

コメントには異論反論様々あり、それぞれなるほど、と思える意見が数多くあります。

 

しかし、なかには変に感情的になって、記事で発言した人に対して罵詈雑言を浴びせかけるようなコメントがあります。いわゆる中傷コメというやつです。発言した本人は、「反対の気持ちをストレートに表現しただけで、それが中傷と決めつけられるのは心外だ。」と思っているかもしれませんが、この類のコメントの内容は、大抵、理由に説得力がなく、歯に衣着せぬ意見、というよりも単なる独りよがりの意見と思うことの方が多いです。

 

それはなぜか。

こういうコメントを書いた人は、ニュース記事を読んだ時の着眼点がずれていることが多いからです。記事を読む際に、全体の文脈を追わずに特定の言葉のみに執着してそれだけで頭が熱くなってしまうのです。「こんな言葉を使う人間は~な奴に違いない。」→「そんな奴が言っていることなんだから、この記事だって~なことを言っているのだろう。」と、一部の言葉のみで、どんどん記事のストーリーを自分の頭の中で「創作」してしまうのです。

 

ちなみに、丸山真男の「『文明論之概略』を読む」の一説では、反対意見を極論で捉えると議論が進まなくなる、といっています。例えば、平和主義を呼び掛ける人に対して、「じゃあ、世界中から武器という武器をすべてなくせというのか!」とか、反対に武力が必要だといっている人に対して、「戦前の軍国主義に戻れというのか!」というものです。それぞれ「平和」「武力」という言葉に過剰反応して、感情的になってしまっているという点では、中傷コメの本質と似ていると思います。

 

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)

 

 

無論、前述のニュース記事の例でいうと、その言葉を使ったことが本当に適切ではなかったのかもしれません。しかし、反論を述べる側としては、やはり文章全体の流れを正しくおさえる(少なくともおさえようとする)ことが表現者としての作法ではないでしょうか。そうでないと、一部の人が留飲を下げるだけの説得力の薄いコメントになり下がり、結局多くの人から「中傷コメ」扱いされることとなってしまいます。これではコメントをした側にも良い効果は生まれないと思います。

 

さて、そんな話は、実は中学生の作文でもあてはまります。

本文を読んだ際、特定の言葉に引っかかって頭が熱くなり、結果的にずれた作文を書いてしまうんですね。

 

例えば、以前、「本文を読んで、筆者の意見を踏まえて環境問題について述べなさい。」といった作文問題がありました。本文では、「現代社会では大量生産・大量消費の中に人間が安住しすぎてしまっている。そんな枠組の中でいくら自然保護運動をやったとしても偽善にすぎない。」といった内容が書かれていました。

 

そうするとこんなような答案が続出しました。

「筆者の意見に反対です。自然保護運動は大切なことで、偽善者呼ばわりするのは許せません(云々)。」

 

こういう気持ちはわかりますが、これでは筆者の意見を正確につかんでいるとはいえません。筆者が言いたいのは、大量生産・大量消費の現代社会に安住していることに対する警告です。環境保護運動に対する「偽善」云々は、警告を強調するための、いわば例え話にすぎません。そのような構造を理解しないまま、「環境保護」「偽善」という言葉で頭が熱くなってしまったのですね。

 

もちろん自然保護運動をする人に偽善呼ばわりすること自体に、表現上の問題はあるでしょう。しかし、表現の問題と内容把握の問題は別次元です。今回の作文の場合、注目すべきキーワードは、「大量生産・大量消費の現代社会」であったにもかかわらず、文章の構造を読み違えたために、ズレた答案を書いてしまったというわけです。

 

作文演習の注意点を考えていると、実は大人にも当てはまることが多いのではないかともうことが少なくありませんが、今回はその一例ですね。