こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

生徒の白紙答案を目の前にして作文が書けないとはどういうことか考えてみた

こんにちは。

 

中学生の作文添削と日常的にやっていると、本当に様々な答案を目にします。

・縦書きの作文用紙なのに横書きで書く答案

・本文の政治思想に納得できなかったのか、「サヨクの文章に興味はありません!」とブチ切れたコメントを一言書いただけの答案

・「この問題めっちゃ難しーんすけど、てか、こんだけ字数埋めて0点だったら、ひどくね?」と、妙に採点者に圧力をかけてくる答案

・・ホント様々です。2つ目と3つ目のような答案はもちろん0点ですけどね。もうちょっとまともに書けば、少しでも点数をあげるのに・・。

 

しかし、考えてみるとこれらの答案は、まだ生徒の反応がある分「マシ」なのかもしれません。実は、0点答案で一番多いのは白紙解答なんです

 

真っ白な答案用紙を見ると、採点者はそれこそがっかりするもんです。これは僕だけではないはず。

もちろん作文採点の仕事は単価制のものが多く、白紙答案では報酬がもらえないというところもあるので、金銭的な「がっかり」もあります。しかしそれ以上に精神的な虚しさが大きいんです。予期していた相手が来なかったような寂寞とした感じ。ブログでいうと記事を書いても読者が1人も来なかった、というのと似ているかもしれません。

 

そんな白紙答案を見るにつけ、「なんか書こうよ」という気になります。

しかし考えてみると、このセリフは自分に対するブーメランです。

僕も「書くことがない」といって、ブログ記事を書かないときがありますから。これは白紙答案を出す生徒とある意味同じですね。

 

もちろん趣味で書いているブログと、学校のテストの解答を一緒にするつもりはありませんが、生徒の白紙答案を考察することで、自分がブログを書けない症状を見つめ直すこともできるはずです。そこで、今回はその辺のことをつらつら書いてみようと思います。

 

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1 作文が書けないってどういうこと?

作文が書けないと愚痴る生徒は本当に多いです。ただ、ここで作文がどのように書けないのかを整理しておく必要があります。つまり・・

・上手な文章が書けないのか(技術的な問題)

・書く中身が思いつかないのか(内容の問題)

・書く気力がないのか(精神的な問題)

のいずれであるかということです。そして白紙答案の生徒の場合、大体が2番目と3番目の問題を抱えています。こういう生徒に「わかりやすい文章の書き方」なんかを教えても意味はありません。それぞれの対策についてみていきましょう。

 

2 書く中身が思いつかないときは体験+分析を試みる

作文というと自分の意見を書かなくてはいけないと考える人がいます。しかし自分の意見というのは全くのゼロの状態から作り上げるものではありません。自分の意見というのは必ずベースになる体験・見聞があるはず。言い方を変えると、作文はそのテーマの体験や見聞(あるいは参考資料)があって初めて自分の意見が書けるものです。

 

作文で書く中身が思いつかない場合には、そのテーマに対する体験・見聞を無理やりでも考えだしてみましょう。

例えば2014年度の埼玉県公立高校入試では、「働くこと」について述べることが要求されています。ここで「自分は働いたことないから考えなんかない」という人は、先に自分の考えを出そうとしているからです。

 

そうではなく、まずは働くことに関して自分で見聞きしたことを思いだしてみるわけです。そういう見聞自体がないという人は絶対にいません。働いている親の姿だったり、労働問題に関するニュースだったり、なんでもいい。とにかくまず体験・見聞を思い起こす必要があります。

 

たとえば親が毎日遅くまで働いて、くたくたになって帰ってくる姿が思い浮かんだとしましょう。それをどう思いましたか?いきなり立派な意見を持つ必要はありません。とりあえずプラスの感情かマイナスの感情かを考えてみましょう。

 

そこでマイナスの感情が浮かんだとしましょうか。

では、そのマイナスの感情はどんなものでしょう。親がつらそうな顔をしているから「仕事ってウザそう」と思ったことでしょうか?

 

ではなぜ親がつらそうな顔をしているのでしょうか?

もし自分がやりがいを感じている仕事なら、遅くまで働いても(疲れることはあっても)つらいことはないはずです。ここまで考えると「そんな仕事はしたくない。やはり仕事はやりがいが大事だ。」と、自分の意見がでてくるはずです。

もちろん違う見方もできます。たとえば、「ここまでつらい思いをしてまで働いているということは、家族を養おうとしてくれているからだ。」と考えることもできますね。そうすると、「仕事は自分の大切な人を養うお金を稼ぐために、嫌であっても我慢して続けるべきものだ。」という意見がでてきます

 

ここで何を言いたいのかというと、自分の意見とは何もない状態からひねり出すものではなく、体験や見聞を分析することで「自然と出てくるもの」であるということです

作文で書くことがないという人は、まず体験・見聞を思いだし、稚拙でもいいからそれを分析してみる訓練をしてみることです。繰り返しますが、下手でいいんです。上手い考えを書こうとすると筆が止まります。「働いている親を見てウザそうに見えた。」というのも立派な「分析」です。あとは「ウザい」理由やその対処法などを、ちょっと真面目な表現で書くだけです。少なくともこれで「書くことがない」ということがなくなります。

 

 3 書く気力がないときは・・

中には書く内容以前に作文自体を書く気力がないという生徒もたまにいます。

こういうケースは、以下のような原因が考えられますね。

・まとまった文章を書いた経験がない

・自己肯定感がないことに基づく無気力

 

まず確認しておきたいことは、そもそも子供がまとまった文章を書く機会自体、なかなかないことであり、それを嘆くことはありません。

よくSNSの普及により子供の文章力がなくなった、という意見を耳にします。しかし、昭和の時代から子供が文章を書くなんて、せいぜい宿題で課される読書感想文か日記くらいでした。つまりそれほどまとまった文章を書く機会なんて、そもそもなかったんです。むしろ文を書くという意味では、ツイッターなどが普及している今の方が、その機会は増えているかもしれません。

 

その意味では、今の子供の方がまとまった文章を書く経験はしやすいはずです。

といっても、最初は少しずつでいいです。たとえば普段のツイートを少し丁寧に書いてみるとかでも十分。表現力のある人のツイートを参考にして、自分の気持ちを的確に表現できるよう訓練してみるといいでしょう。的確な表現ができる人には賛同者が現れます。もちろん煽り行為などで人を集めるのは論外ですが、自分がいい表現をしたことで喜んでくれる人が現れると、文章を書いてよかったと思えるようになりますよ。

 

文章を書くことに興味を持てば、表現を深めるために長い文章を書くことが苦痛でなくなってきます。そうなると日記とかブログとかを書き始める人が出てくるかもしれません。こうなれば文章を書く経験は飛躍的に伸びます。

 

ここで大事なのは、いきなり作文が書けるようになろうとしないこと。

ある程度文章を書く習慣がある人ならいいですが、ハナから文章を書くことを毛嫌いしている人に作文指導のみをしても意味はありません。こういう場合には、まずは自分の表現を承認してもらう小さい成功経験を積み重ねることが大事です

 

小さい成功経験を細々と続けると、自己肯定感も少しずつ回復します。まあ、実際には回復したり減退したりの繰り返しでしょうけど、自分の表現を続けていれば、次第に自己肯定感が全くない状態が少しずつ減っていくんですね。こうなれば作文を書きたくないという無気力状態の防止にもなるわけです。

 

以上をまとめると、

・はじめは小さい表現からはじめていって、自分を承認してもらう機会を作っていく

 ・その活動を継続することで、次第に表現のスケールを大きくなり、まとまった文章を書くことが苦痛でなくなる

という流れでですね。作文の技術論とは別に、こういう活動を通して文章に関するモチベーションを維持しておくことが大事です。

 

4 さいごに

こういうことを書いていると、ブログをやっている自分のための記述なんじゃないか、と思えてきます。文章作成という意味ではブログと作文は重なりますからね。書けない時の対処法は似てくるのかもしれません。

 

ただし、ブログは面白さや情報の価値に重きを置くのに対して、作文はそれなりの論理性や文法などの流儀が重視されます。いざ書くとなったらこの違いは弁えておきたいですね。

 

それでは、また。