こんにちは。
国語を教えていると「国語力を上げるにはどうしたらいいのか」という質問を受けるときがあります。
ネットをみても「国語力を上げるための勉強法」といった内容を解説したコンテンツが散見されますね。それだけ国語力を上げることに興味がある人が多いということだと思います。
しかし巷で紹介されている国語の勉強方法は、「読書をして論理的思考力・情緒力を鍛える」といったやや抽象的・精神主義的なものが多い印象があります。
これではせっかく国語を勉強しようと思っても学習の指針を立てづらいです。
そこで今回は、もう少し具体的に
① 養うべき国語力の正体を明らかにしたうえで【目的】
② その力をつけるには何をどれだけ行えばよいのか【手段】
という観点から国語の勉強法について記していきたいと思います。
1 国語力を上げて何がしたいの?
まず、国語力を上げるというのはどういうことなんでしょうか?
国語というのは数学の公式や定理のような明確な学習対象がないので、そもそも国語を勉強してどういう力を身に着けたいのかをはっきりさせなくては学習方法も定まりません。
国語教育についてのコンテンツを見ると、まれに
「国語力が上がれば、読書が楽しくなって、国語の点数が上がって、知識や教養が増えて、魅力的な人間になる。だから国語を勉強すべき。」
という論調を見かけますが、僕から見るとちょっと違和感があります。
これは
「努力ができる人は、勉強もできるし、スポーツもできるし、仕事だってうまくいく。だから努力ができる人になるべきだ。」
といっているのと同じようにみえます。
この例では、別に努力ができる人になるために頑張っているのではなくて、勉強・スポーツ・仕事で成果を上げたいから結果として努力をしているだけです。
国語の例についていうと、例えば読書をする理由はその本が興味のある分野だったり好きな作家だったりするからですよね。その本から何か思考や知識が得られることがあるでしょうがそれはあくまで結果論。
国語教育では、そういう結果に国語力という抽象的な名をつけてそれ自体を目的にする傾向にあります。しかしこれでは「努力ができるようにスポーツをやれ」という精神主義的な説教になりやすく、かえって教わっている人間の心に響きません。
「国語力を高めるために本を読め」といわれて読書が好きになった人がどれほどいるでしょうか?
つまり、国語力というのは、あくまで日頃の読書、国語の授業、および受験勉強などの営みから結果的に得られた抽象的な力であり、それ自体を目的に国語を勉強しても学習効果が薄いということです。
国語を勉強ときには、自分が国語を勉強してどんな力を付けたいのかという目的を明確に意識することが必要です。
では、以下で目的別に国語の勉強法について検討していきましょう。
2 定期テストの点数を上げたい場合
学校の生徒が国語力を上げたいと思う場合、大抵学校のテストでよい点数を取りたいという身近な(それゆえに深刻な)目的である場合が多いでしょう。
しかし定期テストで点数を取る力と一般的に言われる国語力は違います。
身も蓋もない言い方をすると、定期テストの場合、学校の授業をよく聴いて答えるべきポイントを暗記すれば大抵いい点数が取れます。それでも不安ならば教科書ワークなどの副教材を勉強すれば十分。
もちろん国語力が上がればそのような手間をかけなくてもある程度よい点数が取れるでしょうが、点数アップを目指すならば、国語力そのものを目的にしてしまうのは遠回りすぎます。
多くの学校では国語の授業の場合、教科書出版会社が出している指導資料に則って進められ定期テストもそれを参考に作られます。つまりよほど個性的な先生でない限り、教えるべきポイントや試験に出るところは似通ってくるのです。
それならばその先生の授業をよく聞いて、できれば該当する教科書出版社の副教材を解くのが一番の効率的な点数アップへ方法のはずです。
定期テストの場合、抽象的な国語学習法よりも、このようなドライなゲーム感覚の考え方の方がかえって勉強が上手くいくのです。
もちろんそんな安直な点数稼ぎのための勉強に嫌気がさす人もいるでしょう。
しかし、学校で国語の点数が上がれば、国語に対する苦手意識が薄まるため、本来的な国語力を上げるモチベーション維持に役立ちます。
また、定期テストの勉強の過程で、登場人物の心情の読み取り方や記述問題の答え方などが感覚的に身につくことも十分に考えられるため、間接的に国語力を養う上でも決して無駄ではないのです。
3 入試に合格したい場合
結論からいうと過去問演習一択です。
学習塾などでの問題演習も有益ですが、受験勉強という観点からすると過去問をベースにした方が学習の指針がぶれないのでお勧めです。
この点、過去問はすべての勉強が終わった後に満を持して取り組むべきと考える人もいるかもしれませんが、少なくとも国語(特に現代文)に関してはそうでもありません。
数学や英語と異なり「学習していない分野がないからできない」ということがないので、早期に(大学受験ならば夏休み頃、高校受験でも秋くらい)過去問に挑戦してみたほうがいいでしょう。
もし「早いうちに志望校の過去問のネタバレをするのが嫌だ」という人は、せめて問題の傾向だけでも把握しておいて、似たようなレベル・傾向の他の入試問題を問題集代わりに解いてみるのもいいです。
とにかく入学試験問題を解くことを早めに経験した方がいい。
過去問に挑戦するメリットは
- 自分が何をどれくらいできないのかを把握でき
- 合格までの間に何をすればいいのかが具体的に見えてくる
ということです。
例えば過去問を解いてみて、時間が足りなくなるようだったら、文章を早く読むために部分に引っかからないような体系的な読み方を取得する必要があることに気づけるはずです。
そして普段の勉強でも、その弱点を意識して「問題集を解くときには制限時間を厳しめに設置する」など目的に向けた学習意識が出てくるわけです。漫然と問題集を解いているだけではこうはいきません。
もう一つ過去問を勉強する際に注意するべきは、点数の良しあしに一喜一憂しないことです。ここは定期試験の勉強とは逆。むしろ気にするべきは以下の2点です。
① 本文がちゃんと読めているかどうか
入学試験問題は、「このテーマについて生徒に興味を持ってほしい」とか「このレベルの文章くらいは理解で来てほしい」といった作成者の意図のもと作成されています。
したがってその文章が読めていないということは、読解の方法を勘違いしているか、最低限の語彙力がない危険性が高いです。
そのような場合、その文章の構造を把握して、もう一度書かれている内容をしっかり理解し直すよう復習しておきましょう。
もちろん一言一句完全に理解する必要がありません。
正解を導ける程度に、そして書かれている内容に「フムフム」と納得ができる程度でいいので、分からないテーマはネットで調べたり、読み方が分からないときは国語の先生に相談してみたりして、内容を自分のハラに落とし込んでおくことが大事です。
こういう「理解できた文章」のストックが増えていくと、文章読解に対する自信が高まり、次第に初見の問題文をみても正確に読めるようになっていきます。
このような経験で養われる感覚のようなものが読解力や教養になります。
つまり国語の素養は、問題文に出てくる文章を通して学ぶことも可能なわけです。演習を通してもし興味のあるテーマを見つけたら別途読書をして素養を補えばいい。
逆に言うと、国語力をつけようと無理して読書のための読書をする必要はないのです。
② 正解を導くテクニックに問題がないか
例えば選択肢の吟味の仕方が雑で、点数を落としてしまうということが挙げられます。
このような場合、消去法の精度を上げるために選択肢の表現を丁寧に見るといった訓練をする必要があります。
この手のノウハウは、市販の学習教材に沢山紹介されていますので、ここでは立ち入りません。しかし一つ強調しておきたいことは、「書かれている内容が理解できているから何とかなる」と復習をごまかさないことです。
例えば数学で、「公式を覚えているから問題演習をしなくていいや」とは考えませんよね。国語も同じです。①の段階で本文が読めたとしても、正解を導くためのテクニックを疎かにしてはダメです。
ちょっと厳しい言い方をすれば、理解していれば正解しなくてもいいというのは「甘え」ですよ。
4 読書家になって教養人になりたい
読書ができるようになると、本から独学で知識を吸収できますから非常に有益です。
しかし国語ができると読書ができるようになるのかというと、そうでもありません。
読書好きの人間が必ずしも国語の成績がいいわけではないのと同様、国語の勉強が好きな人間だからといって読書を沢山するとは限らないのです。
読書の原動力は好奇心です。
どんなに国語力があっても、興味のない内容の本は読みにくい。
僕も国語の講師なんかを経験してますけど、難しい経済学やITに関する本を読んだら眠くなってしまいます。書かれている内容を追っかける気力が湧かないからです。
したがって読書を始めるなら、興味のあるものから少しずつ始めるといいです。
もちろん読み聞かせや一緒に読むなどして興味を共有できるならばそれが理想ですけれど、それができない場合には、まずその人が興味のあるテーマの中から簡単な本を選ぶといいです。
大事なのは無理強いして読書のための読書をしない(させない)こと。
子供のころに無理してたくさん読書をしなくても、平均的な国語力や人間的な感性は十分に身に着きます。
例えば子供のころの僕は、それほど読書をしたわけではなかったけれど、カレーが好きだったのでカレーの雑誌をよく読んでいました。そして大学生になったらいつの間にかカレー関連で食文化に関する本を読むようになったのです。
こんな読書好きから見れば浅薄な僕でも、法科大学院に入り法律文献の調査をしたり国語講師をすることができたりしたのですから、焦ることがありませんよ。
むしろ読書と国語の勉強は(関連はするけれど)いったん切り離して考えた方がいいです。読書と国語の関係については以下の記事に書いてあります。
国語の勉強で大事なのは、授業などで扱った文章などを通じて様々なテーマに興味を持つこと。そしてその好奇心から本を読もうとするきっかけをつかむことです。
もちろん継続的に本を読めば、活字に強くなるので国語力を上げるのに役立ちますが、それはあくまで副次的なもので、国語力を上げるために読書量を増やすというのは話が逆な気がします。
話が少しそれましたが、本が読めるようになりたいというのであれば、
- 興味のあるテーマの本から少しずつ手を出してみる
- 3の①で記したような国語の勉強をしながら少しずつ国語の素養を増やしていく
- だんだん読む本のテーマを広げレベルを上げていく
というステップを踏んでいくと、無理なく読書量が増えると思います。
読む本のレベルが上がってくれば、そこから素養も身について更に国語の力が上がりますが、少なくとも受験で問われる国語レベルであれば、特に読書家でなくても習得することは十分可能ですから、無理しないことが肝要です。
「読書はあくまで楽しく」ですね。
5 良い文章が書けるようになりたい
国語力の中には文章表現力、つまり記述力もありますね。
しかし日本の平均的な国語の授業では、文章を書く機会がほとんどありません。よくて記述問題や読書感想文くらいでしょうか。
人によっては「こんな勉強でよい文章が書けるようになるのだろうか?」と不安になるかもしれません。
しかしここで大事なのは、何をもって「よい文章」といえるかは、文章の種類によって変わることです。何を書くのかを抜きにして抽象的に文章力を上げたいと思ってもあまり意味はありません。
たとえば国語の記述問題が得意だからといって、ブログでよい記事が書けるわけではないですね。文章によって求められるものが違うからです。
そんなわけで、よい文章が書きたいという場合には、抽象的な文章技術を学ぶよりも、それぞれの分野でお手本となる文章を見つけて、それを見習うようにした方が効果的です。
たとえば、読書感想文でも記述問題でも、よいものがあれば積極的に参照して段落の分け方や文章のリズムを盗みとっていくのが理想です(読書感想文のサンプルはなかなか手に入りづらいですが・・)。
一般的な文章術の本は、そういった具体的な作業を補完する形で使った方がよいでしょう。
ちなみにこのブログの文章も、人気のブログの文章を参考にして微調整を続けています。以下の記事にあるようにこれも国語の勉強だと思っています。
特に作文やブログのような文章を書く機会がなくて、どんな文章を書いていいかわからないという場合には、評論文の字数制限付き要約がおすすめです。
要約の良いところは、
- 書かれている内容の削るべき部分を考えなくてはならないので文章を構造的に把握する訓練になる
- 字数制限を課すことで表現を言い換える必要が出てくるので語彙力をつける訓練になる
ということです。
ちなみに大野晋先生は、新聞の社説を400字で要約するのが有益だといっていますね。
要約についての詳しい記事は、後日に別途書いてみようと思いますが、学校の勉強だけでは物足りないという人には良い勉強法だと思います。
できれば出来上がった要約文を信頼のおける先生に添削してもらうのが理想です。
6 さいごに
以上、国語力を具体的に分解してそれぞれの勉強方法を検討してきました。
大事なのは、国語力という抽象的なものではなく、養うべき力を見定めたうえで学習すること。このブログで再三申し上げているように、国語というのは輪郭が見えづらい学問ですから、目標を明確にしないと指針が定まらない学習になってしまいます。
そんな思考整理をする一助としてこの記事がお役に立てれば幸いです。
それでは、また。