こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

「テメエ」がなぜ見下し表現なのか?一人称が二人称になるときについて考える

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こんにちは。

 

今回はこの言葉について考えてみたいと思います。

 

手前

 

考えようによってはふしぎな言葉です。

・自分のこと相手のこと両方を表す

・自分のことを指すときは謙譲的なのに相手のことになると見下したようになる

なぜこんな奇妙なことが起こるのでしょう?

以下、自分なりの考察をしてみたいと思います。

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1 辞書としての意味

まず手前という言葉を辞書で引いてみましょう。

今回は、Webrio辞書で挙げられた意味を挙げておきます。

 

手前

【名詞】

① 自分のすぐ前。自分に近い方。基準にしたものより自分に近い方。

② 他人に対する自分の立場。面前。体裁

③ 腕前。技量。手並み。

(以下略)

 

【代名詞】

① 一人称。へりくだっていう語。

② 二人称。対等以下の相手にいうややさげすんでいう語。

 

 
 

もともと「自分の前」をあらわす言葉だったのが、相手にとっての前、つまり自分のことを現す代名詞として使われるようになったんですね。

 

ところが手前という言葉は、次第に相手のことをさす二人称としての働きをするようになりました。

「てめえ、何考えてんだ!」

というときに使われる「てめえ」は「手前」のことですね。

 

なぜこのような変化が起こるのでしょうか?

 

2 一人称が二人称に変化するとき

このように一人称が二人称に変化していく言葉は他にもあります。関西方面だと「自分」という言葉を相手を指す言葉として使うようですからね。

 

これについては、大野晋先生の本がヒントになります

日本語練習帳 (岩波新書)

日本語練習帳 (岩波新書)

  • 作者:大野 晋
  • 発売日: 1999/01/20
  • メディア: 新書
 

 大野先生の本では、一人称を二人称に転用することについて、万葉集の時代から続く日本人の気質の表れてあると指摘しています。

 

つまり

・自分と相手を甲乙関係の対立軸で見る西洋文化

・相手との距離が大事な日本文化

という比較の視点から、日本人の場合、相手との距離が近い場合には、自分を指す言葉と相手の指す言葉がいりくりになることは十分に起こり得るという説明をしているわけです。

 

3 なぜ見下した表現になるの?

なぜこのように一人称を二人称として使うと、意味まで変化してしまうのでしょうか?

 

⑴ 相手を無理矢理へりくだらせている?

本来、自分のことを指して「手前」という場合、自分がへりくだるニュアンスがあります。よく商人が、「手前どもは~」みたいに話すところからイメージがつくと思います。

 

となると、そんな言葉を相手にあてはめる時点で「見下している」ことになります。

そんな経緯から「手前」は見下し表現として使われるようになった、と考えることもできます。実際、それに近い趣旨の説明をしている人もいます。

 

⑵ 親密感から「見下し感」への変化か?

しかし⑴の説明だけでは少々弱い気がします。一人称と二人称の関係一般に通じる説明がもう少し欲しいところです。

 

そこでヒントになるのが、先ほどの大野先生が指摘した相手との距離感という概念です。

 

大野先生によれば、相手との親密さを表すために一人称を二人称に転用します。

例えば小さい子に対して「ボク、どうしたの?」という場合が典型ですね。

 

これは、いったん相手に入り込んで自分が一人称の立場になりきることで、相手との親密さを表していると解釈できます。

(ちなみに僕は、見知らぬ男性を「おじさん」と家族の名称でよぶのも同じ流れではないか、と勘繰っています)。

 

しかしその親しみも、度が過ぎると相手の人格への「支配」となり、次第に「見下し」というニュアンスに近づきます。

相手の立場になり替わるというのは、考えようによっては相手に合わせてやっているという支配的なイメージが付きまといます。小さい子の前ではしゃがんで同じ目線に合わせてあげるというのとちょっと似ている気がしますね。「自分の方が立場が上であることを前提とした優しさ」とでもいいましょうか。

 

そんな意識が独り歩きして、次第に一人称が見下したイメージのついた二人称に変化したというのが、現時点での僕の考えです。

 

4 まとめ

以上、手前ということばについての僕なりの考察でした。

 

ざっとまとめると

・一人称と二人称の転用は相手との親密感を表わす日本人の性質

・自分が相手に「なり替わる」ことで一種の支配的な関係が生まれ得る

・そのような関係から次第に手前という言葉が見下し表現になっていった

ということです。

 

このような「親密感から見下し」という流れとは逆に、「相手と距離があるから見下しへ」という例もありますが(「貴様」など)、それはまたの機会に考察しましょう。

 

それでは、また。

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