デジタルタトゥー(英語: digital tattoo)は、一旦インターネット上で公開された書き込みや個人情報などが、一度拡散してしまうと、完全に削除するのが不可能であること

 

 これは感覚的に分かりますね。

例えば酒の席で不謹慎なことをいっても、まずみんな聞き流していますし、最悪でも「酒の席の過ち」として大目に見てもらえることもあります。

 

また、例えば、日記に誰かの悪口を書いても、後で思い直して消したりノートを捨てたりして、「なかったこと」にできます。 

しかし、例えばブログで不謹慎なことを書いてそれが拡散してしまったら、そんな簡単に話は終わりません。あとで、「あんなことを書かなきゃよかった」と思って該当する記事を消しても、拡散した内容は消えません。

しかもそれが何年たっても残ることだって珍しくないのです。まさにタトゥーのように「消えない」過ちとして残るのです。 

 

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2 加害者になり得るのはバカッターみたいな人ではない

善良な人デジタルタトゥーの怖いところは、善良な人が加害者になり得るところです。

デジタルタトゥーの危険性を気にするべきなのは、自分からバカなことをやってそれを公開している所謂バカッターみたいなやつだ、と思われるかもしれませんが、そんなことはないのです。

 

 特にインフルエンサーを目指すような人は、自分の周囲の情報をネットにさらけ出す傾向にありますので、要注意。

「自分は人を誹謗中傷してないから大丈夫」

という気持ちで突っ走ると危険です。

 

3 インフルエンサーは被害者にも加害者にもなりやすい

⑴ 被害者としての悲劇

僕もしばしばSNSインフルエンサーのコメントなどを見ることがありますが、彼らはその影響力が災いして、ときに結構な誹謗中傷に遭っているようです。精神力が強い人、あるいはハナから炎上狙いの人はともかく、普通の人にはしんどいことですね。

 

 被害にたまりかねた人の中には、訴訟を起こす人もいるようです。あのイケハヤさんとやらも係争中みたいなことをいっていましたね。

 

こういう訴訟は犯人の特定が面倒であることもありますが、一度拡散してしまうと相手ごとに削除請求をしなくてはならず、その手間と費用がえらくかかってしまいます。たとえば10サイトに誹謗中傷が書かれると、その10サイトの管理者それぞれを相手にしなくてはならないので、非常に面倒くさいわけです。

 

 なお、最近では、そんなまどろっこしいことをせずに、たとえばグーグル社を相手取って検索結果から削除することを請求するような法的手段も考えられています。これなら相手先も明確だし、手段として簡単そうです。

 

しかし最近の最高裁判決を見る限り、削除請求が認められるための要件は非常に厳格です。滅多なことではこの種の請求は認められないでしょうね。学者の間では表現の自由を重視した判断だと評価する向きもありますが、個人的にはこれだけ被害を拡散しやすいネット社会になったのだから、相応の法的手段も必要だと思うんですがね。

 

そんな判例批評はともかく、やはりネット上の被害は消しにくい「タトゥー」の側面があるということがここでもわかります。 

 

⑵ 加害者になり得る悲劇

もっとも、上記のようなことをみて「インフルエンサーも大変だよね」で済まないのが、デジタルタトゥーの怖さです。

ネットの情報は拡散するため、インフルエンサーなどの情報発信者自らが、ふとしたことで自分や関係者にとって不利益な情報をバラまいてしまう可能性だってあるわけです。

 

 特に最近では、実名を公表して自分の人生をコンテンツにすることを推奨する向きもあるようです。

 

もちろん、それくらいやらないとインフルエンサーとして成功しないんだという主張は一理ありますので、そのこと自体を否定するつもりはありません。

しかし、そのリスクは十分理解する必要があります。この件に関する事例を紹介しておきましょう。

 

 ① 自分の人生を晒す事例

たとえば、僕が法科大学院時代に扱った事例として、こんなものがあります。

 

自己破産した自分の人生を実名でブログに記録していた人が、就職活動をする際にその記録を消したがっている。どうすればいいか。

(※内容が特定されないために、実際のものを改変してあります)

 

 これは、実際にあった法律相談を題材にしたものです。

もちろん、「自分で書いたものなんだから自分で消せばいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、既にこの内容は方々に拡散してしまって、その情報は自分ではどうすることもできません。

 

 一応僕も法務博士号をとっている人間ですので、削除する方法をあれこれ考えてみましたが、残念ながら極めて難しい(おそらく今の法曹実務も同様のはず)。

他者が書いたものならば、名誉権侵害やプライバシー権侵害を根拠に法的手段が取れますが、自分で記事を投稿した場合、そこから生じた結果は基本的に自己責任なのでどうすることもできません。 

 

もちろん「そんなの当たり前だ」と思われるかもしれません。

しかしこれは、結構みんなが陥りがちな過ちだと思います。 

 

人間は10年も経つと考え方がガラッと変わることも珍しくありません。

その時は面白いと思って作ったコンテンツでも、10年後には「目も当てられない」「人に見られたくない」と思うものに変わっていても全くおかしくないです。

しかしネットの情報は容赦なくそれを晒し続けます。 とくに実名や顔だしで活動する際には、そんなリスクを重々承知の上でないと、上記の相談者のようになってしまうのではないか・・。僕なんかは、最近のSNSを見ると、そんな怖さを思い出してしまいます。 

 

② 子供の画像を晒す事例 

もう一つネットで自分が加害者になってしまう例を紹介します。

 

 母親が、幼い子供の大泣きしたり入浴したりしている様子を写真にとりSNSに投稿した。その子供が成長し、当該画像を見て恥ずかしいと思ったため削除したいと思った。この削除は認められるか。 

 

(※この例は、神田知宏先生が著した「ネット検索が怖い」という本を参考にしたものです。)

 

(059)ネット検索が怖い (ポプラ新書)

(059)ネット検索が怖い (ポプラ新書)

 

 

 神田先生の本にもありますが、この削除請求も認め難いです。 

つまり母親は、自分の子供の権利を包括的に管理する権限を持っていますので、上記のような画像をSNSで投稿するということは、その子のプライバシー権を代わりに放棄したものと評価される危険が高いのです。  

 

もちろん親の軽はずみな行為による不利益を子供が永続的に受忍しなくてはいけないのか、という疑問があります。

しかし、もしこの子供の画像を第三者が手に入れて公開してしまった場合、その第三者から上記のプライバシー放棄の反論をされてしまうと、今の法体系では削除請求を認めるのは厳しいです。

 

そんなこんなを考えると、特に実名でネット活動をしている人は、身内の情報を滅多なことでは出さないのが賢明だと思いますね。

 

3 さいごに

以上、インフルエンサーなどが(特に実名顔出しで)活動する際には、デジタルタトゥーの怖さを認識した方がいい、というお話でした。

 

たしかに、情報露出度が多いコンテンツは面白いです。

しかし面白さを追求すると思わぬところに落とし穴がある、ということがこの記事から伝わると幸いです。

 

もっとも、僕のようなインフルエンサーからは程遠い過疎ブロガーからこんな説教受けたくない、と思われるかもしれませんけどねw

 

それでは、また。