こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

ブラック校則について裁判例の考え方をヒントに考察してみる

こんにちは。

 

最近、Twitterなどを中心に「おかしな」校則について話題になることが多いです。いわゆるブラック校則の問題ですね。もちろんこういう校則については昔から話題になっているのですが、SNSの普及により全国の校則を知る機会が増えることで話題になるきっかけも増えるということなのかもしれません。

 

ブラック校則についての書籍も数多くでていますね。

 

ブラック校則 理不尽な苦しみの現実

ブラック校則 理不尽な苦しみの現実

 

僕も教育業をやっていた人間なので、子供たちに対してルールを科すことの必要性はある程度理解しているつもりです。

しかし学校の外部から見ると明らかにおかしいと思うような校則も確かに散見されます。一般常識から外れていたり、変に厳しすぎたり・・。

こういった現象は、価値観が多様化している現在、自分の中で築き上げた古き良き価値観が通用しなくなることに不安を感じている一部教育者による「過剰な自己防衛」が原因のような気もするんですがね・・。

 

こういった校則にまつわる問題については様々な切り口で考察できるでしょうが、今回は裁判例の考え方を参考にしてみましょう。僕自身、憲法学を学んでいたこともあるので、裁判例を軸にすると思考整理がしやすいんです。

 

1 男子生徒の対して丸刈りを強制する校則についての裁判例

校則についての伝統的な裁判例で有名なのが、昭和60年に熊本地方裁判所で争われたいわゆる丸刈り校則事件

これは熊本県の公立中学で男子中学生に対して丸刈りするよう規定していた校則について、憲法で保障している人権を侵害しているのではないか、と争われた事件です。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/909/035909_hanrei.pdf

この事件は30年以上前のもので、今とは時代背景が異なることからすると、この事件をブラック校則の例とするのは必ずしも適切ではないかもしれませんが、裁判所の考え方を示す好材料として今でもよく引き合いに出される判例なので、ここで紹介しておきます。

 

この裁判例、結論からいうと学校側が勝利しました。

つまり校則は憲法上の人権を侵害するものではないし、校長らの指導はいき過ぎたものではない、と判断したのです。この判決については、学者たちが様々な分析をしていますが、校則問題を検討する際に有益なポイントをピックアップしてみましょう。

 

2 学校が公立か私立か?

憲法学的にいうと、もし学校が公立なら、校則は国家権力による人権制限と解釈しやすいので、ブラック校則は違憲といいやすいです(実際には違憲判決などほぼないですが)。

 

それに対して、私立の場合には、学校が国家権力ではないので憲法上の人権侵害という評価がされづらいです。この場合、民事上の損害賠償などで争うことになりますが、それでも「そういう学校だってわかって入学したんでしょ?」という主張により、学校独自の規制も認められやすい傾向にあります。つまり民事上でも違法になりづらいわけです。

 

もちろんこれはかなりステレオタイプな考えで、実際に採用すべきかどうかは別問題です。たとえば「校則内容なんていちいちチェックして学校選ぶ人間がいるか!」という反論をすることも十分に考えられます。

 

3 そもそも憲法上保証すべき人権か

こういう問題になると「校則くらいで騒ぎやがって。なんでもかんでも人権っていうな!」という声が上がることがありますが、じつは憲法学でもその種の問題は考えられています。

 

特に上記の丸刈り裁判のような場合、子供が自分の髪型を決定する自由を憲法上の人権といっていいのか?という問題があります。さすがにこれを野放図に認めるのはちょっと・・という人も多いのではないでしょうか。熊本地裁もこのような自由を憲法上の権利とすることは基本的に否定しています。

 

では憲法上の人権として保障するべきかどうかの線引きはどこでするのか?

憲法学者の中には人格的生存に不可決かどうかを基準にしているものがあります。分かったような分からないような表現ですが、要は憲法で認めるだけの価値がある利益かどうかで判断しようということですね。

 

ちなみに人格的生存に不可決かどうかの判断は、一般人を基準にします。

例えば髪型を決める自由は、感受性豊かなアーティストを基準にすると人格的生存に不可欠かもしれませんけど、男がブラシを使うことすら快く思っていないような質実剛健な人を基準にすると全然重要ではありません。そんな極端な人を基準にはしてはいけないよ、というのが憲法上の多数意見です。

 

こう考えると、社会通念の変化によって憲法上の人権として保障される範囲も変化するかもしれません。たとえば、今でこそ学校にスマホを持ち込むことは禁止されるのが一般的ですけど、教育技術が発展しAIによる授業が普及すると、スマホを使わないとまともな教育を受けられないから是非必要だ、ということにもなるかもしれないわけです。現代の変化のスピードを考えると、僕はこの例えは決して突飛な空想だと思いませんよ。

 

4 裁判所は校則にダメ出しはしないけど・・

以上のことから分かるように、実は校則が裁判で違憲と判断されることはほとんどないんです。そもそも憲法上保護されない利益ではないといわれるケースが多いからです。

もちろんその校則を理由に教師が生徒に体罰をした等の事情があれば、別途心身に損害を与えたということになりますから違法になり得ますが、基本的に校則に関しては裁判所は学校に寛容な判断をしています。

 

しかし、これにより「裁判所はブラック校則について学校側の味方だ」と即断するのはちょっと違うと思っています。裁判所は校則については具体的な状況を的確に把握した現場の人間がその内容を判断するのが適切であり、自分たちが安易にしゃしゃり出てくるべきではない、と思っているからこそ慎重な姿勢をとっているのであり、学校側を積極的に正義であるといっているわけではありません。だから悪質な校則に関しては別途誰かが監督・是正しなくてはならないわけです。

 

ではブラック校則を監視・是正すべき「現場の状況を的確に把握した」機関とは何か?

これが難しいんですね。生徒・保護者が個人単位で動くと単なるエゴだと思われてしまう危険がある。といって保護者たちが連携を取ろうとしても、面倒だったり個々に教育理念が違ったりとなかなかうまくいかない。

 

しかし少なくとも僕は、理不尽な校則に従わせることに教育的意義を感じないし、それを放置することは学校の独善・腐敗を招くと思っています。

そんなことを防止するためにも、せっかくSNSが普及しているんですから、校則を監視するためのつながりがもっと広がればいいな、と思っています。

 

建設的な解決策が示せないまま記事を終えるのも心苦しいですが、今回はここまでにしておきます。

 

それでは、また。