こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

小賢しくまとめたものを披露する「嫌らしさ」について~遠藤彩見「給食のおにいさん」の読後~

こんにちは。

 

今日、自分のブログの過去記事をざっと読みかえしてみたんですが、つくづく

「自分って、近寄り難い人間だなあ」

と思ってしましました(苦笑)。

なんか、ネチネチしているというか、自分の世界に浸りすぎというか。

 

ただ、そんな僕でも、ちょっと柔らかめな小説を読むことがあります。

今回は遠藤彩見「給食のおにいさん」

 

給食のおにいさん (幻冬舎文庫)

給食のおにいさん (幻冬舎文庫)

 

 2013年に初版が発売されてからというもの、大好評となりシリーズ化された作品ですね。流行に疎い僕は、最近になってこの本を知り、一作目を読んでみました。

 

いいおじさんが電車の中で読むにはちょっと「柔らかすぎる本」だったかもしれませんが、いい作品でした。後半はちょっときれいにまとめすぎかな、と思う展開もありましたけど、ひねくれ者の僕が満足できるんですから、それだけ懐の深い内容なんだと思います。

 

1 この本の内容

コンクールで優勝するほどの腕を持った青年である宗が、1年間の期間雇用で給食調理員として働くお話です。料理人としての実力はあるのに「給食のおにいさん」として働かなてはいけなくなった若者の挫折とその後の成長がよく捉えられています。

 

給食という言葉が使われているので食育の話だけかと思いきや、青年の仕事・人生論だったり、子供の教育論だったりと、様々な角度で楽しめる作品だと思いますね。

 

2 謙虚そうにしていても やっぱりプライドが邪魔をする

しかもこの内容、自分の過去とちょっと重なる部分があります。

主人公の宗は、調理員として働くことになった初日、同僚のおばちゃんたちから「どうでもいい」と思えることにガミガミ言われてキレそうになるシーンがあります。

 

僕が司法試験に失敗して、違う分野の職場にいったときもこんな感じでした。普段は「謙虚な人間」を気取っていても、自分が思いもよらない批判をされると、本性が表れるもんなんです。「自分はこんな努力をした」というプライドが邪魔して、批判する立場に対する想像ができなくなるといいますか、とにかくそんな感じが主人公と同じで、読んでいて変に恥ずかしくなってきましたw

その意味では、僕はまだまだ主人公のことを年長者として見下ろせる立場にはありません。むしろ等身大の立場に立って学ぶべきところが多い。

 

3 小賢しくまとめた完成品を披露するということ

この作品で学んだことを一つ挙げるとすれば、完成品として小賢しくまとめたものを披露することの嫌らしさでしょうか。この記事のタイトルのことなんですけどね。

 

主人公は、「ふれあい給食」という校内のイベントで、調理師として何か話さなくてはならなくなりました。そこで予行演習として、1人の小学生の前でブリア・サヴァランという食通の話を聞かせます。自分の祖母から貰った本を使って、自分の好きな料理について語ろうとしたんですね。

 

ところが、聞き手の小学生には

「つまんない」

「なんかいばってる」

と、言われてしまいます。

 

僕も、講師業をやっていたので、この種の痛い目に遭ったことが沢山あります。

作中で、宗のしたことを「好きなもの、という名目で自分の上辺だけをみせよう」としている、と表現していますが、まさにその通り。こういう、ええかっこしい知識の披露は、子供は(おそらく大人でも)「ウザい」と思うんです。

僕は今だって教材編集や、こういうブログ活動など、何かをまとめて完成させる作業をしているんですから、その中でこういう「小賢しい完成品の披露」をどんだけしているんだろう、と、身につまされる思いがしますよ。

 

4 まとめ

どれだけ知識を詰め込もうと、対象に対して自分が「本気」になっていることが分からなければ、相手は必ずそれを見破ります。僕も文章を書いたり本を読んだりすることが好きですけど、そういう人間ほど宗のような失敗をしてしまいがち。気を付けたいですね。

 

え?宗が「ふれあい給食」をどう乗り切ったか?

それは、作品を読んでみてくださいw

 

それでは、また。