こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

堀江貴文氏のセリフ「東大は行くことではなく合格することに意味がある」の捉え方

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ご訪問ありがとうございます。

 

さて、今年度のセンター試験が終わりましたね。

今年のセンター試験といえば、あの堀江貴文氏と若手芸人が揃って東大を目指していることで、一部で話題になってます。「ドラゴン桜」の堀江バージョンという感じの企画でしょうか。

 

若手タレントはともかく、いったん東大を中退している堀江氏も受験をするというのは、凡人からするとちょっとわかりにくい行動です。

ただ、この言動を理解するヒントとして、自身がTwitterでこんな発言をしています。

 

「(東大に)行くのは意味ないよ。合格することに意味があるの。」

 

東大に「行って」「卒業して」人生の目標をまっとうしようとしている人の神経を逆なでするような発言ですねw

ただ、この人らしいといえばこの人らしい。

 

堀江氏のセリフに反論したくなる人の気持ちもわかりますが、今回はあえてこのセリフから学ぶものがないか考えてみましょう。

 

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皆さんは、上記の発言をどう解釈するんでしょう?

「たしかに大学受験なんて学歴を得るための茶番なんだから、合格しちまったら用済みの世界だよな。」とか

「堀江は企画のウケを狙って大学受験を玩具にしている怪しからん奴だ。」

みたいに考える人がいるかもしれませんね。

 

しかし、僕は今回のセリフをちょっと違う角度で見ています。そこで思ったのは、

堀江氏は目の前にある「そのこと」を人生の目的とする傾向にあるということ

合格したら、ああしてこうしてみたいな未来設計は拘らない。とにかくいま目指すべき「合格」というものに全神経を集中させているんです。

 

彼は何らかの理由で、東大合格というものに興味を感じたのでしょう。

その理由の良しあしはここでは問題にしません。しかし、堀江氏の著書を読むと分かりますが、彼のいったん興味を持ったことに対する集中力は半端ではない。だからこそ、彼は現役時代東大に短期間で合格できたし、多くの事業も手掛けられたのでしょう。これはそれ自体が人生の目標だと思えるくらいの熱意があるからなせる業だと思います。

 

そんな堀江氏の生き方みたいなものは、以下の本などを読むとよくわかります。

 

 ここに書かれていることは、「常識的に見れば」かなり極端です。受け取り様によってはかなり危険に感じるかもしれない。僕もこの人みたいには生きられないし、そうしたいとも思いません。

 

しかし、目的達成のためには、整った常識的なまじめさを超える熱意が必要だというのもまた事実。この本を読むとそんなことを再認識させられます。

実際に、東大卒業を前提にした人生設計をしっかり立てた受験生が落ちて、合格のみを目的にしているような人が受かるなんてよくきく話ですからね。

 

もちろん目先のことだけ考えて行き当たりばったりでもいけませんが、少しくらい尖った熱意がないと、難関なんて突破できないのかもしれません。今回のタイトルのセリフからそんなことを想いました。

 

それでは、また。

 

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