こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

長文読解で難しい文章が読めないという人は 筆者の「知識自慢」に振り回されているのかも

こんにちは、ご訪問ありがとうございます。

 

小学校から大学にいたるまで、国語の問題を解くときに一番の課題になるのは、長文読解を正しく行うこと。

記述式にしろ短答式にしろ、その正解の根拠は本文に書かれているわけですから、根拠をほじくり出すためにも正確な文章読解は必須なわけです。

 

しかし国語の問題では、すらすら読めるような文章ばかりが出てくるわけではありません。イライラするような難しい文章が出てくるケースがままあります。

こういう文章に悩まされるのは子供のみならず、大の大人でも少なくないのではないでしょうか。

 

そこで、今回はこういった厄介な文章を読む際の注意点の一つとして、タイトルにあるように「筆者の知識自慢に振り回されない」という点についてお話していきましょう。

 

f:id:bigwestern:20181230205554j:plain

そもそも難しい文章とは何か?

こんな長文読解の方法について偉そうに講釈をしている僕だって、難しい文章は嫌いです。大学受験で出題される文章の中には、半分くらい何を言っているかわからない場合だってあります。

 

こういうわけが分からない文章の特徴として

① 一文が長かったり段落が整理されていなかったりしてそもそも読みづらい

② 書かれている内容が専門的・技術的でイメージが湧きづらい

というものが挙げられますね。

 

①は、天才肌の「もの書き」さんに多いです。

自分の考えが湯水のごとく湧き出てきて、その赴くままに書くから、伝わりやすく整理するという発想が乏しいタイプ。

今でこそ伝わりやすい文章を書くことが強く要求されますが、昔気質の「もの書きさん」は、自分の頭にあることを体現することに精いっぱいで、分かりやすさを置いてけぼりにすることがあります。

このような文章は、読み手の方から「整理してよむ」癖をつけることが得策なんですが、このテーマは今回の内容とはズレるので、またの機会にとり上げましょう。ちなみに、以前に「整理して読むこと」の大切さをちょっととりあげたことがあります。

 

bigwestern.hatenablog.com

 

むしろ今回取り上げたいのは②のタイプです。文章の構成は割と整理されているけれど知識のレベルで難しいことを振り回す文章のことですね。

 

この点、はじめに強調しておきたいのは、

このような難しい専門知識など知らなくても長文読解はできる

ということ。

 

「お前みたいに偉そうに長文読解について講釈しているやつは、専門用語について知識があるから難しい文章が読めるんだろ」と思っているかもしれませんが、僕の社会科学についての一般知識なんてほぼ高校3年生レベルですよ。分野によっては僕より詳しい高校生がいても決しておかしくない。

だから僕自身、国語の問題を解いていて、本文で「何言ってるかわからない」と感じる部分があることも珍しくないんです。

 

しかしそんな文章でも、その長文読解が全く手が出ないかというと、そうではない。さすがに満点は難しくても、合格レベルの点数を取ることはできています。

 

難しい知識が羅列している文章では、その知識のやり過ごし方が重要であり、知識の難しさに拘っていてはいけません。下手に教養を深めようとして難解な世界を知ろうとすると、どんどん勉強の方向性がずれていってしまいますよ。

 

難しい部分を正しく「やり過ごし」筆者の知識自慢に振り回されない

そもそも設問では、そんな専門的でわかりにくい知識についてきいてきません。

作問者の立場からいわせてもらうと、そんな問題を出したら、「特定の知識を持った子供に有利な問題だ」と大ヒンシュクをかってしまいます。

 

あくまで設問でききたいことは、「筆者の言いたいこと」、つまり主張内容であり、主張するための根拠として挙げた難しい知識ではないのです。

 

どういうことか、もう少し説明しましょう。

以下の例を見てください。

 

 実際の評論文をそのまま転載してしまうと著作権の問題が生じてしまうので、ある評論文のテーマを参考に僕がオリジナルで作った例文です。

 

f:id:bigwestern:20181230194826j:plain

さて、シチズンシップだのスティーブン某だの怪しい単語が出てきました。

もちろん僕もスティーブン・マシード先生のことなど知りません。でも、ここでこの文章を理解することを諦めてはダメです。

 

ティーブン某の知識は、文章の前半にある筆者の主張を説明するための例え話、引用にすぎません。

f:id:bigwestern:20181230201233j:plain

引用や例え話は、筆者の主張を補足するおまけであり、そんなものを理解することに余計なエネルギーを使うべきではありません。大事なのは、その引用や例え話を使って筆者が何を言おうとしているかです。

 

今回の筆者の主張は、市民として積極的に関わっていく必要性とそのための教育です。

これくらいなら何とかイメージがもてますね。例えば、「この町で起こる交通事故の特徴とその解決策を授業で話しあう」などの教育を通じて、市民として行政に関与する姿勢を持つことが大事だといっているわけです。

 

 「やり過ごす」と「読み飛ばす」は違う

誤解してほしくないのですが、「難しい言葉が書いてあったらいい加減に読み飛ばせばいい」といっているわけではありませんよ。そんなことをしたら、読んでいる最中に頭がこんがらがってきます。

 

この場合「やり過ごす」というのは、その段落で書かれている内容が文章全体でどういう役割をしているかをしっかり把握していることが大前提です

 

上記の例でいうと、スティーブン某の部分は、前段の説明のための引用・例えだな、という構造を把握しないまま読み飛ばしてはいけないよ、ということです。

つまり、細かい知識が理解できなくても構造は把握しておきなさいよ、ということ。

 

逆にいうと、難しい知識の理解にエネルギーを使って、文章全体の構造を把握することを疎かにすると、読解が崩壊したり時間切れになったりするわけです。

 

ティーブン先生や、シチズンシップについては、国語の受験勉強以外の一般教養として勉強しましょう(一般教養と長文読解の関係についてはいずれ記事にします)。

くどいようですが、読解が得意になるためにはこのような専門知識が必要だ、と思ってはいけませんよ。

 

さいごに

 

例え話や引用部分は、筆者の主張の理解を助けることもありますが、往々にして筆者の知識の披露ができる部分なので、かえって文章が難しくなってしまうケースがあります。

 

そんなときは、「あくまで大切なのは筆者の主張部分である」という基本さえ忘れなければ、文章読解の際に混乱することが少なくなると思います。