こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

「型にはまった作文」はいいのか悪いのか?

私は以前、司法試験の勉強をしていました。

結果的にはうまくいかず、現在は別の分野で仕事をしていますが、当時の勉強が全く無駄だったかというと、(負け惜しみ抜きに)無駄ではなかったといえます。

 

試験に受からなかったらどうしよう、といった受験上の不安を、大の大人になっても当事者となって体験することは、あまり多くはないと思います。そんな私だからこそ受験を目の前にした子供たちの気持ちが痛いほどわかります。

 

当事者として受験生の生活を経験した私としては、「頑張れば努力は報われる」といった、高みから呼びかけるような抽象的なアドバイスはしないようにしています。親や普段お世話になっている先生から励ましの意味でこういうセリフをもらう分には、受験生は有難いと思うかもしれませんが、どこの馬の骨だかわからないブログの人間からこんな精神論を言われても白けるだけです。第三者である私としては、「どう努力すべきなのか」ということをできるだけ客観的に分析して皆さんに情報発信することしかできません。その際、私自身の受験生としての失敗経験も皆さんに生かしていただければと思います。

 

前置きが長くなりましたが、今回は受験生が陥りがちな作文の書き方の「悪い例」を1つ紹介しようと思います。それは、不自然に「型」にはまった答案です。

 

〇私の司法試験時代の答案が評価されなかった理由

上記の悪い例の答案を書いていたのは、まさしく司法試験時代の私でした。司法試験は論文試験があり、当時の私も自分の答案を大学の教員に添削してもらったのですが、その時よくこんなことを言われました。

 

「君の答案は、一見きれいにまとまっているが、本当に理解しているのかよくわからない。」

 

ちなみに、司法試験にも受験指導校があり、論文試験の解法パターンなるものが出回っていました。その類の受験指導でよく言われたのが、「型にはまれば『落ちない答案』がかける」といったものです。当時の私の答案も、その受験指導に従って、自分なりに一生懸命書いたつもりのものでした。

 

有名な受験指導校で習った方法で一生懸命書いても、評価されないことを知った瞬間でしたが、その時の自分は、「あ~、やっぱり司法試験って難しいんだな・・。」と思っただけでした。

 

〇中学生の作文を読むようになって

その後、状況が変わって、今度は自分が中学生の作文を添削する立場になりました。すると、

「あ!あの時、教員が言っていたことはこういうことだったのか!!」

と実感することができるようになったのです。

 

私は一日に数百通の作文に目を通しますが、中には、受験生の母体が同じで共通の指導を受けているせいなのか、同じ人間が書いたと思われるほど書き方がそっくりな答案が続出します

 

たとえば、必ずといっていいほど「筆者は~といっている。私もその意見に賛成だ。」と書き始めるもの。あるいは、巷で出回っている表現を使ったほうがカッコいいと思っているのか、「世の中には2種類の人間しかいない。それは~」みたいな書き出しをするものです。

 

もちろん、そういう書き方をしているというだけで、悪い点数を付けることはしませんでしたが、それでも機械的に型にはめているだけの印象が強い作文は、内容が薄い場合が多く、結果的にあまりいい点数にならないことが多いです

 

〇高校受験の作文指導の問題点

受験界では、様々な作文の書き方指導が行われています。私もブログを始めるようになってから、他の受験指導ブログを覗くことが多くなってきました。もちろん私でも勉強になるような秀逸なサイトも多くあるのですが、中には「これはちょっと・・」と思うような指導をしているものも点在します。

 

そのような指導でよくあるのが、「こういう型で書けば必ず合格答案になる」といった「解答パターン」を絶対視させるものです。例えば、「筆者は~といっている。私もその意見に賛成だ。」と書き始めれば、筆者の意図を把握した作文と評価され合格答案になる、といった指導内容です。

 

もちろん、解法パターンを指導するのは、一定のメリットはあります。予め書き方の「型」を頭に入れておくことにより、本試験で書き方に迷うことがなくなります。書き方に迷わなければ、その分を作文内容の吟味の時間にあてられますから、結果的によい答案が書きやすくなります。したがって解答パターンの指導・学習をすること自体が悪いことだというわけではありません。

 

しかし、「型」を学習するのは、あくまで内容を吟味するための時間を確保するための補助的な手段であり、「型」にはまること自体が評価されることはおそらくないといっていいでしょう

 

例えば、「筆者は~と言っている。私もその意見に賛成だ。」の例でいうならば、①抽出している筆者の意見の箇所が適切か、②その意見に対して「どのように」賛成なのか、ということがしっかり書かれていなければ、内容の薄い作文として、あまり評価されない危険性が高いです。①の部分は、筆者の一番言いたいことをしっかり把握できているか、ということですし、②の部分は、①を踏まえて自分の意見がしっかり言えているかということに該当します。

 

逆に言えば、①、②の内容さえ踏まえていれば、上記のような「型」にこだわらなくてもいいのです。「型」をつかうなとは言いませんが、それにより内容がおろそかになったり、まして内容の不出来を「型」で補おう、なんて考えないほうがいいと思いますよ。

 

〇まとめ

このように、解法パターンはあくまで「手段」です。手段は内容をよくするための補助ですので、主従関係を間違えないようにしましょう。

ちなみに、このことはブログでも言えますね。「~をする方法〇つ」とか、よく使われる表現をしても、結局内容がよくないと読んでもらえないのです。私も気を付けなければ(笑)