こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

国語はすべての科目の礎って本当なのか?

こんにちは。

 

以前に国語を勉強する意味について記事を書いたことがあります。

 

bigwestern.hatenablog.com

 そのときに「国語はすべての教科の基本になる」から勉強する意味がある、といったことを述べたことがあります。

 

今でもこの考えは概ね変わりませんが、最近になって「ちょっと誤解を招く表現かな?」と思うようになってきました。

つまり、「国語は勉強の基本にはなるけど他の教科の万能薬ではない」というあたりまえのことを注意しておかなくてはいけないということです。

 

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国語教育者は、国語学習の有益さを強調するために、国語の成績が高い人間は他の科目も優秀だと主張する場合があります。

しかしその優秀さは本当に国語の成績に起因しているのか?というと、その因果関係ははっきりしないものが多いです。その母集団は、単に学習する習慣がしっかりついているから成績がいいのかもしれません。

 

むしろ実際の感覚では、国語の成績がいいからといって他の教科がすべてうまくいくとは限らないと考えるのではないでしょうか。

僕自身も国語は好きだけど理数科目は大の苦手。この前、SPIの言語科目を作問するついでに非言語科目を解いてみたんですが、まあ散々たる出来でした。

こんな自分が、国語ができるようになれば他の科目にも有益だ、なんて軽々しく言うのは無責任かもしれないのです。

 

例えば、数学の文章問題を考えてみましょう。

こういう問題を解くときには、文章の主語・述語を意識してそれぞれの関係性を適切に解釈したうえで、場合によってはそれを図に書くなどします。

 

さて、ここで「このように文章を分析するのは国語力だ」と主張するのは、どうなんでしょう?僕は国語が好きなので、そういいたい気持ちはよくわかりますが、ちょっと無理があるのではないでしょうか。

少なくとも僕自身は、こういう問題を解くときに「国語をやっていてよかった」と思ったことはありません。

 

なぜなら国語の読解で格闘する文章と、数学の問題文は性質が全然違うからです。

前者は大きく広がりがあり、話がそれたり曲がったりします。そのうねりをの中で筆者のいいたいことを適切につかみ取る作業が必要です。

 

これに対して数学の問題文には、ほぼ100%無駄がありません。短い文章の中に凝縮された情報を時間内に不足なく汲み取る事務処理能力が必要です。またその情報をどの公式や定理を使えば解決できるのかを見つけ出す問題発見・解決能力も大事ですね。

数学が苦手は人たちは、大抵これらの能力のレベルでつまづいているのです。

この種の能力は、一種の数学的センスといっていいかもしれません。そしてそのセンスを養うには類似の問題を解くなどして、ケースごとの対応の仕方をある程度体にしみこませなくてはなりません。残念ながら、国語の問題をいくら解いてもダメです。

 

これは文系科目の社会などでも同じです。

例えば歴史の教科書を理解するには、国語的な読解力が必要かというと、ちょっと違う。歴史の教科書は時代ごとの出来事の紹介であり、国語のように論旨や思想をおっていくような文章ではありません。

歴史の理解のためには、良質な講義や本・テレビなどのコンテンツから各時代の背景を学び、必要な語句を使いこなすため場合によっては暗記しなくてはならず、やはりこれは国語の勉強では代替できません。

 

つまりそれぞれの教科の理解には、国語はほとんど役に立たないんです。

こんなことは当たり前のことなんですが、それでも国語がすべての科目の礎と言われているのは何故なんでしょう。

 

僕が思うに、それだけ国語という科目の輪郭があいまいなんです

言葉を扱うという融通無碍な学問であるため、「あれもこれも国語だ」と言いやすいわけですね。文章を読む力や思考力、分析力などなど学習に必要な力はすべて言葉を介しますから。

 

もちろん国語の学習を通して間接的にこれらの力がつくのは素敵なことです。

そしてその可能性を否定したくはないから、僕も「国語はすべての科目の基礎」という表現を使っています。

 

しかし、実際の国語の勉強では「いま何の力をつけようとしているのか」はある程度具体的に考える必要があります。

例えば古典的な文学作品を読解して、「ここで培った思考力は数学の文章題に役に立つから頑張れ」というのは、ちょっと無理があります。

むしろ、国語の力を強調しようとするあまり、無理に他科目と国語を結び付けようとすると、かえって学習の視点が見えにくくなってしまうおそれがあるのではないでしょうか。

 

僕としては、国語を通して活字が好きになり、本を読めるようになって、そして様々な分野の知識や思想を本で知るという勉強の習慣がつけばいいな、とは思いますが、それ以上のことは国語の守備範囲というのは難しいと思っています。

 

どうしても国語と他の科目を関連付けたいなら、それこそ総合学習などで他の科目で複合授業をするのも面白いかもしれませんけどね。

たとえば先日紹介した鳥光先生の本では、音楽の授業とコラボして、古い歌の歌詞から古文を学び、歌を歌うときに歌詞の意味を深く理解できるようにすることを目指す試みを紹介していました。

「古文」で身につく、ほんものの日本語 (PHP新書)

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 まあ、実際に学校の現場でやるのは難しいと思いますが、考えとしては面白いと思います。僕もこういう授業を通して「国語はすべての科目の礎だ」といえる機会ができればいいな、とは思いますからね。

 

それでは、また。