こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

ドラクエ映画「ユア・ストーリー」を観てブロガーとして大事なことを学んだ

こんにちは。

 

国語中心の記事を書いている僕ですが、じつはドラクエファンでもあります。

大人になってゲームを長らくやっていなかったのですが、オンラインでできるDQ10をはじめてからというもの、すっかりドラクエの世界に引き戻されてしまっています。

 

そんな僕は、ドラクエ映画「ユア・ストーリー」が公開になると聞いて、興味津々。

しかも僕の好きなナンバリングタイトルであるⅤを題材にしているというではありませんか。

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映画なんてめったに見ない僕ですが、こればかりは座視していられません。

さっそく公開2日目に映画館に向かうことにしました。

 

さて、さっそく映画の感想なんですが、ひとことでいうと

 

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何だ、こりゃ!?

 

何が問題って、ラストシーンですよ。

卓袱台返しを食らったかのような展開でした。

ファンタジー映画を見てここまで困惑したのは初めてです。

 

具体的な感想は、僕の運営しているもう一つのドラクエブログでネチネチ語っています。ここで改めて語ってもいいのですが、おそらく罵詈雑言を並べることになるでしょう。同じ映画で二度も同じ悪口を言うのはやめておきます。

 

むしろ、このブログは国語っぽく、表現に関する記事を中心に書いていますので、そっちの方面で攻めてみましょう。

そこで今回は、ユア・ストーリーを反面教師にして、ブロガーなどの表現者として気をつけることはないか、という点を考察してみたいと思います。

 

 

1 無難な内容の序盤~中盤

まず、前提としてユア・ストーリーの内容について軽くおさらいです。

 

映画では、DQⅤの主人公リュカの幼少期~青年期~父親期が描かれています。

同ゲームの内容のハイライトであるパパスの死や花嫁選び、そしてゲマとの戦いなどが、映画オリジナルのストーリーに改変されて展開されていました。

 

ゲームとストーリーは違いますが、それ自体は大した問題ではありません。

むしろゲームの雰囲気をうまく維持しつつも、2時間弱のオリジナルストーリーとしてよくまとめられていたと思います。

とくに花嫁選びのシーンは白眉です。年甲斐もなく、感動してしまった。

 

ということで、冒険シーンの序盤~中盤は特に不満はなかったのです。

このまま素直にゲームファンタジー映画として終わってくれれば、少なくとも僕はこの映画に及第点を付けたでしょう。

 

2 衝撃的かつ不快なラスト

ところが、ラストシーンでは、甘やかな冒険心に浸っていた観客に水をぶっかける展開になります。ネタバレしてもいいのですが、あえて言いません。実際にこの気分を味わってみたい人は映画館までお越しください。

 

ラストで何が起こったのか?

 

ネタバレしない程度にいうと、この映画がゲームファンタジーではなく、社会評論になってしまったのです。登場人物の生きざまではなく、映画制作者の主義主張が全面に出てきてしまった。

 

これ、やっちゃいかんやつでしょ。

 

少なくとも観客は、ドラクエの世界観を楽しむために映画を見に来ているはずです。

現実世界を離れ、登場人物と同化してその人生を疑似体験することを望んでいるはず。そして映画もラストになる前までは、その気持ちを煽り高揚させています。

 

そして完全に観客をその気にさせたところで、ラストシーンでは手のひらを返したように、その観客の疑似体験行為を「客観的に」評論してしまいます。

これは情報の受け手を困惑させ、ひいては愚弄するものといってもいい。不愉快な気持ちなる人も少なくないはずです。今回、ユア・ストーリーが酷評されているのも、その意味ではやむを得ないと思っています。

 

3 表現者として僕が気を付けたいと思ったこと

ここで表題の話にうつります。

 

何故この映画がここまで不快なのかというと、情報の受け手の気持ちを無視して表現者が技巧に走ったからです。ここまで話を進めてきたら受け手はどういう気持ちになるかを考え、その状況にあった表現をしなくてはならない。もし斬新で意外なオチを狙うのなら、情報の受け手がそれを受け入れるきっかけを作る必要があります。

 

しかし、今回の映画で「ゲームの世界とリアルの世界の関係」といった問題意識を予め持っていた観客がどれほどいたでしょう?あるいはそれを意識させる十分な伏線があったでしょうか?

 

むしろ皆は純粋にファンタジーの世界に入りたかったんだと思いますよ。そんな人たちに上記の問題提起をするのは無粋というものです。

今回の映画は、ファンタジーを望む観客を土壇場で落とし穴にいれて、表現者の「いいたいこと」を押し売りしてしまった形に見えました。これは斬新なオチというよりも、むしろ不快なだまし討ちです。

 

ただ、これは他山の石ともなります。

僕のように趣味のブログで人様に対して表現をしている者も、同じ過ちをすることが多分にあるのです。

 

例えば「釣り記事」のような場合はもちろん、まじめに書いた記事だって、ときとして読み手の気持ちを置いてけぼりにして自分が言いたいことを無粋に表現しまうことが十分に考えられます。

 

仮に表現者である自分に言いたいことがあるとしても、それを出すタイミングは、タイトルの付け方、前後の文脈(ストーリー)、及びそこから生じる読み手の感情を考慮してよく考えなくてはいけませんね。その判断を間違えると、たとえ主張自体が立派でも、ひどい結果になります。

 

意外性を狙うのはいいけど、やっぱり「ユア・ストーリー」のような表現をするのはリスキーです。僕のような凡人ブロガーは、受け手の気持ちを確認しながら論を進めていく方法が無難だな、とつくづく思いました。

 

以上、ドラクエ映画「ユア・ストーリー」の国語的(?)雑感でした。

 

それでは、また。