こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

国語を教えている先生、読書するといい子になれますか

こんにちは。

 

今回は読書の効果について気になったことを書いてみます。

 

中学・高校などの作文や小論文などで「読書の効果」について問われることがよくあります。僕は添削者の立場として生徒の解答を見ることがあるんですが、そのときこんな考えをよく見かけます。

 

「読書は活字の形で表現されており、読み手の想像力を鍛えるので大切だ。」

 

ひねくれた僕は、この種の考えを見るたびに「ホントかね?」と思ってしまいます。

勿論こういう考えは参考答案などでも使われている一般的なもので、決して間違いというわけではありません。

しかし僕が思うに、読書の場合に大事なのは、①その想像が正しい読解を元にしたものであるか、及び②その想像から何を学びとるか、ではないでしょうかね。想像すること自体には、あまり重要性を感じません。

 

つまり、活字から書かれている場面を想像するなんて当たり前のこと。それだけならなにも読書でなくても他の活字媒体でもできることです。

極端な話、同じようなことはツイッターでも行われてますよ。ツイートした状況などから相手の気持ちを読み取り、その時に適切なコメントを返すことだって、考えようによっては十分想像力を働かせています。

 

では読書に期待される効果とは何なのでしょうか?

ちょっとその辺のところを掘り下げてみたいと思います。

 

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1 読書で情緒力を鍛える?

よく国語教育において、子供の情緒力の育成云々という話が出てきます。

ちょっと古い話ですが、2007年に文化審議会国語分科会において、子供たちに文芸作品に触れさせることで美的感性や日本の文化・伝統・自然を愛する心を育てることが目的とされています。この心がいわゆる情緒力といわれるものです。

そしてこの情緒力がなくなると「心の荒廃」につながり、キレたり非行に走ったりしてしまうということのようです。

つまり読書には情緒力を育くみ、心の荒廃を防ぐ効果があると公式に考えられているということでしょう。

 

僕はこの意見について、間違いとまでは思いませんが、少々懐疑的です。

上記の内容は国語教育に携わる者にとってはいい話かもしれませんが、あまりにも本という媒体のみを神聖化(あるいは教育目的化)しすぎているしているように思えます。

情緒を整えるだけなら、映画や漫画などの他の表現物でもできますしね。

 

日常生活では、テレビやインターネットをはじめとする数多くのメディア、あるいは実際の人間関係から、沢山の情報が流れてきます。人の心を作るのは、こうした日常で浴びている情報であり言葉です。情操教育はそういった日常生活における表現から改善していかないとあまり意味がありません。

日頃から心が荒むような情報や言葉ばかり触れているのに、読書のときだけは立派な内容を読ませて「解毒」させよう、というのは、ちょっと付け焼刃みたいでヘンな気がしませんかね。

 

それに、様々な情報媒体がある現代社会で、ことさらに文芸作品で情緒などという効果を云々するのは、ともすると文学などの本の世界が「教育目的の道具」と受け取られることに成りかねないので、ちょっと違和感があります。

文芸作品などの本だって清濁様々な世界があり、触れようによって読者の心は如何様にも変わりますからね。そう考えると、上からの情操教育というのではなく、もっとフラットに本の世界と付き合う方が自然だと思います。

 

そんなわけで、僕は読書については、あくまで他の媒体と同じように、情報を仕入れるツールの一つとしてドライに捉えています(小説も登場人物の生きざまという「情報」ですし)。

もちろん読書によって心にいい効果があることは否定しませんが、それはあくまで結果論。読書によってどういう効果が生じるのかは人それぞれなので、「子供をキレさせないために本を読ませよう」といった効果論が先にありきの発想は、ちょっと短絡的だと思いますよ。

むしろ教える側は、本を読んだ人がその人なりに人格形成をしていく「手助け」をするくらいの控えめな気持ちの方が上手くいくんじゃないでしょうか。

 

2 それでも読書をさせる効果とは?

そんなふうに読書をドライに見たとすると、はたして読書をさせる効果なんてあるんでしょうか。情報を仕入れるだけならネットの方が優れているように見えますからね。

 

この点、僕なりに考えられる読書に期待される効果としては、「体系立った完成されている」言葉の表現に触れられるということ

つまり、本は様々な関係者を通して作られますので、一般にSNSよりも表現が練られています。したがって内容に一定限度の信用性があります。しかもそれが一冊の本として体系になってまとめられていることが大事です。

一定のまとまった考えを順序立てて理解することは、情報に触れる際に大事です。これができていないと、炎上等のトラブルが生じやすくなります。

bigwestern.hatenablog.com

 

また、表現力という点でも、活字だけで物事を伝えようとするので、豊かな表現が使われていることが多く、自分の気持ちを表す語彙力を養うことにもつながります

 

更に読書の場合、情報の受け手がまとまった活字を能動的に読みにいくという積極的な姿勢が求められているという点が重要です。

読書というのは情報の受け手の意識がかなり試される情報媒体といえます。ネットの情報は目的のものが見つかればいいですが、本の場合には自分で能動的に読んで理解しなくてはならない。この点も以前に記事にしました。

bigwestern.hatenablog.com

 

このようにみてみるとこんな風に思えてきます。

 こんな面倒な読書をしようとする知的好奇心を育てるために日常生活や授業に気を配ることこそが実は大事なんじゃないか?

 

つまり読書で人間性を養うだけでなく、読書をしようと思える環境を整える過程にこそ意味があるのではないか、とも解釈できるのではないでしょうか。そういう環境を整えることは、人格育成と学力向上の両方に好影響のはず。

 

 

国語教育は、読書をする人がより正確で豊かな読みができるような手助けをするとともに、読書をしない人にも読書習慣の魅力を粘り強く伝えることで、相手の知的好奇心向上に役立つかもしれないんです。言い換えると、読書生活というのは、国語教育にとって手段であり、同時に目的なんです

「キレない子供にするため」という説明よりも、僕はこういう読書教育の説明の方が腑に落ちます。

 

ちなみに、今回のタイトルは香山リカの著書のオマージュです。

勝間さん、努力で幸せになれますか

勝間さん、努力で幸せになれますか

 

 読書するとこんな遊びもできるようになるという一例です。

 

 それでは、また。