こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

ツーブロック禁止の校則について その違法性を戯れに法的考察してみる

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こんにちは。

 

先日、美容院に散髪に行ってきたんですが、担当の人と校則の話題になりました。

「ウチの子が通っている学校、校則でツーブロック禁止なんですよ~。何故なんでしょうね。」

 

ツーブロック?確かに最近の男子は襟足を短く刈り上げている子が多いですね。僕の10代のころはむしろ襟足が長いのが「かっこいい」とされていたはず。当時の学校側は襟足を短くしろ、と言っておきながら、たかだか十数年で真逆のことを言いだすのか、とあきれてしまいました。

 

ツーブロック自体、全く奇抜なファッションではなく、学業に支障が出るものではないはず。よくわからない規制により、日本の男子は最低限のファッションを取り入れることすらままならなくなっているわけです。

 

美容院ではそんな話題をひとしきりしてきましたが、このブログでは法学的にもう少し掘り下げてみましょう。以前にブラック校則について憲法学的に考察したことがあるので、今回のツーブロックの件にこの考えを当てはめて考えてみたいと思います。

 

bigwestern.hatenablog.com

 

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1 校則は違憲・違法になりづらい

まず結論からいうと、裁判所は校則に関してよほどのことがない限り違憲判決など出しません。その理由として

① 児童の頭髪決定権を憲法上の人権として認めていない

② 学校側に広い裁量権を認めている

といったことがあげられます。特に私立学校の場合には、学校側の定めた教育方針に共感した生徒が集まっているという建前があるので(実質はともかく)、裁判所も広く校則の内容を是とする傾向にあります。

 

2 ツーブロック禁止の違法性を考える

しかし今回問題になっているのは公立学校の話です。私的団体のような独自の教育方針を貫徹する必要性が希薄な機関なんですよ。そんなところがツーブロックごときを禁止するのは、少なくとも僕の感覚にはそぐわない。そこで、このような校則を違法にする方向で考察してみました。

※あくまで戯れの考察ですので、この記述に関する法的な責任は負いかねます。

 

 まず上記①で挙げたように、男子児童がツーブロックにする自由が、憲法上保証される人権であると主張するのは厳しい。昭和の「丸刈り判決」のころから時代は変わったとはいえ、違憲判決に消極的な裁判所の方々が、こんなドラスティックな主張を認めるとは思えません。

 

となると、このような学校の判断は校長の裁量権を濫用していると主張するのが最も穏当でしょう。つまり・・

「校長は生徒が常識的で健全な教育を受けさせる趣旨でその権限を行使する責任があるにもかかわらず、今回の禁止事項はその趣旨を外れたものなので違法だ」

という論法を使うわけです。権限があるものはその権限を与えられた趣旨にのっとって行使しなくては違法になるよ、という考え方で裁量権濫用論とよばれます。行政事件でよく使われる法理ですね。

 

ただ、学校の校則についての判例を見ると、この権利濫用論で校則が違法になることも滅多にないです。権限の趣旨を「著しく逸脱」したような場合に限り違法になる、なんて言い方をしていますからね。

 

しかし今回のツーブロックに関しては、長髪・パーマを禁止した校則を是とするために使われてきた理由がほとんど当てはまりません。たとえば・・

 

・頭髪を気にして学業に専念できなくなる

襟足を刈り上げることで髪の乱れを防ぐことができるので、かえって髪を気にしなくなるはずです。長髪と異なり、整髪料の使用を抑えることもできます。

・学業を行う児童としてふさわしくなく風紀を乱す

ツーブロックは、スポーツ選手やサービス業に携わる社会人の間でも普通に見かけるヘア・スタイルです。またツーブロック類似の髪型は、すでに平成初期のころに若者の間で普及しており、これをそのころ学校で禁止していたという話は、ほぼ皆無です。

第一、ツートーンになる刈り上げがダメというなら、あの有名漫画の主人公であるコボちゃんは、不良児童の象徴となるはずです。

新コボちゃん (46) (まんがタイムコミックス)

新コボちゃん (46) (まんがタイムコミックス)

 

 

総じて、何をもって『ふさわしくない』のか、合理的根拠が全くもって不明。

 

このように考えると、ツーブロックの禁止は、一部の教育者のツーブロックに対する偏頗な悪感情を体現しただけの一方的な規制であり、およそ合理的な教育配慮は認められないと主張し得ると思います。

まあ、裁判所を説得するには、この程度の理由ではまだぬるいでしょうけどね。

 

3 学校側の気持ちと僕の気持ち

おそらくツーブロックが気に入らない教育者は、子供がオシャレをすること自体、おもしろくないのでしょう。僕も質実剛健な校風の学校で育ちましたから、その気持ちは分からなくはないです。「こどもにはオシャレなんかより大事なものがある。親のおかげで勉強させてもらっているうちは、慎ましく素朴であるべきだ。」みたいな意識があるんじゃないかな。

 

また子供を管理する立場からすると、中途半端に子供に対して「ものわかり」をよくすると、なし崩し的に風紀が乱れていくことが不安だ、というのもあるかもしれません。

たとえば「ツーブロックがいいなら、なんでそり込みがダメなの?同じ刈り上げじゃん?」みたいな反論にいちいち答えなくてはいけない。それなら最初から不良のイメージに発展する可能性が少しでもあるスタイルを一律に規制してしまった方が手っ取り早いです。

 

人によってはこういう規制がある環境が規律正しいと思い、居心地がいいと感じるかもしれません。しかしこういう環境は、一部の人間の理想を体現しただけの小さな小さな箱庭にすぎないことを少し自覚すべきではないでしょうか。

 

例えば、僕は襟足が長いとぶん殴られるような高校で育ちました。

では今の僕が、自由な校風の人間よりも規律正しく質実剛健かというと全くそんなことはありません。むしろ過度に厳しい校則にしたがっているうちに思考停止に陥り、オシャレとの付き合い方など、柔軟な社会意識が分からなってしまった時期もあります。学校の考える規律の美しさというのもわからなくはないけど、俯瞰してみるとそこまで素晴らしいものではないんです。

 

学校というのは、教育的配慮から一般社会から切り離された独自の規律・環境が生まれます。そのこと自体は悪いことではありません。実社会の悪習から子供を守り健全な教育を施す意味では、ある程度隔離された社会が必要です。法律学でも「部分社会の法理」というものがあり、学校の規律について安易に裁判所がケチをつけることを戒める考えがありますからね。

 

しかしその閉ざされた環境が、一部の教育者の独善を守るための便宜になったら、教育にとってむしろ有害です。その意味で、今回のツーブロック禁止は、自分の理想をなし崩し的に壊されることを恐れた一部教育者がこしらえた「過剰防衛」のような気がします。

 

こういうことを言うと、「子供にひよった甘い考えだ」とか、「社会はもっと厳しい」というような反論があるかもしれません。

しかし、その種の厳しさが本当に子供の利益になっているのか?単なる教育者の独善ではないか?そんなことを改めて考える必要があるがあるんじゃないでしょうか。僕はツーブロック禁止の話からそんなふうに思いましたよ。

 

それでは、また。

 

 

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