こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

「学校の勉強なんてくだらないことやってていいの?」と思ってしまった人へ

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こんにちは。

 

今回は、学校の勉強に関する本質論みたいな話です。

 

「なぜ学校で勉強しなくてはならないか」

 

このテーマだけで立派な教育者により執筆された本が何冊も出ていますし、今更僕なんかが論じることでもないのかもしれませんが、こんな切り口の説明もあるというくらいにとらえてやってください。

 

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1 実はこの質問、僕は嫌いです

子供に勉強を教えているときに、今回のような質問をされたことがある人も多いのではないでしょうか。

僕が思うに、こういう質問って大抵3つの要素が含まれてます。

 

・勉強がやりたくなくて「やらなくていい」理由を探している

・自分のやっていることが不安で誰かに勉強を「権威づけ」て欲しい

・先生が勉強についてどれくらい本気で考えているか「試して」いる

 

3つの要素は密接に関連しています。

勉強がやりたくないから勉強のくだらなさが目につきます。そんなことをやっている自分に不安を覚えるから、「君はこんな立派なことをやっているんだ」と誰かに背中を押してほしい。ついでに先生がそういうことができる人かちょっと確かめてみたい、などと思うことも考えられます。

 

はじめに結論からいうと、僕はこういう「勉強をやらない理由」を探し始めている人間のためにその理由を本気で考えても、そんなに意味がない気がします。

仮に勉強する理由を一生懸命考えてそれを教えてあげても、その理由を潰すための反論なんて無限に考えられます。理屈で捏ね上げた理由なんてその程度なんです。

 

だから、そんな抽象的な理由を用意して子供に勉強させる気を起こさせようとする試みに僕はあまり興味がありません。勉強に対するモチベーションって、もっと本能的で感覚的なところから生まれると思っていますから、立派な理屈は役に立たないと思っているんです。

 

もちろん教育哲学としてこういう問題を考えることは大事かもしれません。

しかし、限られた生徒・学生時代にこのような抽象的な悩みにエネルギーを使いすぎ、それこそ意味もなく消耗してしまうのはもったいないと思うんです。表現は悪いですが、勉強の目的なんて後からいくらでも「でっち上げる」ことができます。しかしそれは一度実際に本気で勉強に取り組んで、体験として感じ取らないと理解できないんです。

 

そうだとすると、あらかじめ人から与えられた「勉強する理由」が本当の意味で勉強のモチベーションになることは、まずないといっていい。どんなに感動的な理由を述べても、それを聞いた人にとっては「他人事のいい話」で終わってしまう可能性が高い。そうなりたくないから、僕はそんな質問に答えるのは好きではないんです。

 

2 くだらなさに悩むくだらなさ

確かに勉強なんてくだらない。生涯使うこともない法則・知識を頭に詰め込んで、机上で反復パズルをするくらいなら、それこそ体でも鍛えた方がよっぽど役に立ちます。

 

もちろん巷でいわれているように、勉強で得られる知的な刺激は魅力的なもので、全く意味がないとまでは言いません。僕自身もそんな刺激や感動を生徒に味わってほしくて様々な工夫をしてきましたし。

 

でも勉強の意味で迷っている人は、実はそんなことくらい分かっているはず。

問題は、「これから厳しい実社会に入っていくのに、そんな知的好奇心がどうのこうのなんてぬるい評論家みたいなこと言って過ごしていていいのか?」という迷いをどう解決するかではないでしょうか。実際、ツイッターなどを眺めてみてもその種のコメントが散見されます。

 

なるほどその疑問はもっともです。

すくなくともそんな疑問すら感じたこともない人より貴方は大人です。

 

しかしね、そんな疑問を感じないで夢中になって勉強した「子供」に、試験であなたは負けるかもしれないんですよ?そして世間は、貴方の「誠実な」悩みよりも試験に勝った人間の努力を評価するんです。

 

「そんな世間の評価はどうでもいい。悩むこと自体に意味があるんだ」

というのも一つの考えでしょう。むしろ哲学的には好ましい解答なのかもしれません。

しかしこの考えはときに有害です。悩んでいる自分を正当化することで、内向きの自分の世界を美化することに執心し、どんどん周りが見えなくなってしまいます。

 

これでは昔の僕と一緒です(今も直ってないかもしれないけど)。もう少し自分を俯瞰してみることです。

周りからみたら、こんなことで悩んでいるあなたの方がよっぽど「くだらない」です。なんだかアホらしくなってきませんか?

 

3 「くだらなくないこと」という「ないもの」ねだり

第一、勉強がくだらないなら、何だったらくだらなくないのでしょう?

 

好きなことに熱中してユーチューバ―にでもなりますか?

企業家のサロンにでも入って事業を立ち上げる実体験でもしますか?

世界中にいる恵まれない人を助けるためNPO活動でもしますか?

夜の世界に飛び込んで世の中の魑魅魍魎を体験しますか?

勉強なんてやめてどこかに就職しますか?

 

例えば上記のような分野に興味を持ち、実際に動き出したくてうずうずしている人だったら僕は何も言いません。勉強の世界から脱出するのも一つの考えでしょう。そのような方法で一流になっている人もいますので、僕なんかが口を出す分野ではありません。

 

問題はそういう行動派ではない「貴方」です。

貴方は昔の僕によく似ています。しかし、その自分の経験からいわせてもらうと、「今やっていることなんて意味がない、くだらない」という悩み癖がついている人は、勉強に限らず何をやっても成功しません

大抵、こういう悩み癖がついている人は、自分のやっていることをネガティヴにとらえて自嘲します。そして6~8割くらいのエネルギーを使うだけで今やっていることを放り出してしまいます。そんな人間が夢中にやっている人間にかなうわけがない。

 

「自分の好きな分野が見つかればそんなことはない」と思いますか?

でも好きな分野だと思っていたものでも、必ずある程度挑戦していくと必ず壁にぶち当たります。それこそ「くだらない」と思うときがやってきますよ。その時、上記の悩み癖・自嘲癖がついていると、学校の勉強と同じ(場合によってはもっと厳しい)結果になります。

 

そうならないためにも、とにかく悩む自分を美化することは早急にやめることです。

 

4 夢中になって一度答えを出す

そんな悩みで時間をつぶすくらいだったら、目の前にある勉強に一度夢中になってみませんか?勉強する意味なんてどうでもいいと思えるくらいに没頭してみることです。

これは思考停止とは違います。目的達成のためになくてはならないセルフ・コントロールです。「受験勉強なんて役に立たない。これからは好きなことで自分の価値を高める時代だ」と豪語する人たちだって、この没頭する集中力があるから物事に成功しているんです。

 

勉強に一度没頭すると、なんらかの成功体験をするはずです。学校の点数が伸びたとか、志望校に受かったとか、なんでもいい。ひょっとしたらそこで今まで懐疑的だった勉強が好きになっているかもしれません。そうすれば世の中に「恨みごと」が一つ減ります。素敵なことじゃないですか。

 

残念ながら目的を達成できなかったとしても、一度没頭してでた結果なら(悔しくはあるけれど)価値はあります。自分がどれくらいできて、あるいはできないのか輪郭が明確になるからです。一度この答えを出しておけば、これをきっかけに新たなステップに進めます。

これに対して、一度も本気にならずにただ失敗するだけでは「何となくダメな自分」とずっと付き合っていかなくてはなりません。これでは不安で居心地が悪いですよ。

 

5 敷かれたレールの使い方

学校の勉強をするなんて、敷かれたレールの上を歩いているだけかもしれません。

実際、世の中で成功している偉い人もその種の発言をすることも多いですし、僕も間違った指摘とは思いません。

 

しかし勉強をしている人間がこの発言をきいて不安に陥るのはお勧めしません。上記のとおり、そんなことで悩むのはくだらないことだから。

 

むしろ今、せっかくレールに乗れているのだから、そのチャンスを利用しましょう。

生徒・学生時代は、学校の勉強をしている自分を世間が納得して応援してくれる唯一の貴重な時期です

大人になってから勉強しようとなるとこうはいかない。周りの人間が出世したり結婚してたりと着々と人生を歩んでいる中で、孤独に勉強に向き合っていかなくてはならないのです。それこそ前述の没頭する力がないと自分を維持できないと思います。

それならば、周りが自分のやっていることを理解してくれやすい生徒・学生時代のうちに、目の前にある勉強に夢中になる経験をしておくことをお勧めしますね。

 

6 さいごに

なにやら説教口調の記事になってしまった点、ご容赦ください。

このメッセージは、僕自身に対する壮大なブーメランです

僕は大学受験ではまあ成功し、司法試験で大失敗をしました。そして勉強している自分に懐疑的になりすぎて、くだらない経験をしたことが何度もあります。司法試験の失敗もそれが原因といっていいでしょう。いってしまえば、弱い人間だったのです。

 

僕は勉強以外でも様々な仕事を経験しましたが、やはりその弱さがあると、どの分野に行ってもダメでした。そこで感じたことは、当面の理由なんてどうでもいい。とにかく必死になったもの勝ちだということ。

 

ただ、そんな弱い僕でも、今は、教材編集やら作文添削などの学習支援活動といった「やりたいこと」がちょっとだけできています。あの時くだらないと思いつつも学校の勉強を続けていたささやかな成果なのかもしれません。

 

その意味で、くだらないことを頑張ることは、やっぱりくだらなくないのです。

 月並みな表現ですが、さいごはこの言葉に落ち着くと思います。

 

 それでは、また。

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