こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

長文読解等の勉強では参考書のマニュアルの「信者」になってはいけない

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こんにちは。

 

今回は参考書の「マニュアル」の使い方についてです。

 

僕の受験時代もそうでしたけど、勉強しているとマニュアルというまとまった形で解答方法を伝授してくれると、受験生は安心しますよね。

 

しかし、このマニュアルというのはクセモノです。

僕は受験時代、勉強の方法論をまとめるのが好きで、いいマニュアルを研究する癖がありました。しかしそんな趣味に力を入れすぎて、肝心の試験の実力が伸びなかったという苦い経験があります。

 

早い話が、受験指導で出回っているマニュアルの使い方に気を付けないと、僕と同じ間違いを犯すので気を付けた方がいいという話です。今回は、その辺のテーマを書いてみようと思います。

 

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1 何のためのマニュアルか?

マニュアルは、解法を整理して勉強をしやすくするためのツールとして有益です。

つまり、本来は勉強する側の便宜のための手段のはずなんですよね。

 

ところが受験業界で出回っている参考書を見渡してみると、僕はどうもマニュアル過多

のような気がします。

「こんなことまで法則化していいの?」

みたいに思うこともしばしば。

 

マニュアルにこだわりすぎると、いざ問題を解くときに、そのマニュアルにあてはめること自体が目的になってしまって、かえって解答までの思考がいびつになってしまうことがあります。これではマニュアル本来の趣旨に反します。

 

受験業界でマニュアル過多になりやすいのは、実はその方が教えやすいからというのがあります。

授業で扱う問題を、その講師が考えたマニュアルにあてはめてすらすら解説すれば、一貫性のある説明に見えますし、そのマニュルが正解のための魔法のように見えるので、教える側からすると、「信者」獲得のためのパフォーマンスになり得ます。

 

しかし、強引なマニュアル化は、そのマニュアルにあてはめるための「こじつけ」の説明に腐心する授業の原因にもなってしまいます。

有名講師の「○○の解法」みたいな授業を聞いて、いったんはスッキリ分かった気がしても、いざ自分で実践してみるとあまりうまくいかない、なんて経験ありませんでしたか?

それは受験生の実力や努力が不足しているからではなくて、そもそもその解法が「こじつけ」である可能性も十分にあるのです。

 

受験生は、そんな教える側の都合で作られたマニュアルを過信してはいけません。

マニュアルを受け入れるとしても、問題を解いていく中で、自分の使い勝手のいいように自分の中でうまくかみ砕いて、「この法則は強引だな」と思ったら採用しないといった取捨選択が必要です。

 

2 僕が制限時間内で問題を解く理由

僕は以前、センター試験を制限時間内に解いたときの記事を載せました。

 

bigwestern.hatenablog.com

 

これは自分自身の国語の実践感覚を失わないようにするというのもありますが、上記のような強引なマニュアル化を自分がしないようにするための戒めでもあります。

 

つまり、実際に制限時間内に問題を解いてみると、自分が普段言っている解法通りに行かないことが感覚的に分かるんです。

問題文の読み方にしろ、選択肢の吟味の仕方にしろ、抽象的な説明ではとらえられないモヤモヤした理由から正解を導くことがたくさんあります

 

そういう経験をすると、解説記事を書くときなどに「この説明は変に一般化しない方がいいな」みたいに、自分自身で気をつけることができるんですね。

 

3 マニュアルを上手に使える人はいい講師

そんなわけで、むやみやたらに解法を法則化するマニュアル・マニアは、気を付けた方がいいです。

 

しかし逆にいうと、的確にマニュアルを使える講師は、素晴らしい講師であることが多いです。何が的確か、というのは感覚的な基準なので説明するのは難しいですが、受験生が問題を解くときに「自然に」利用できるマニュアルは的確な場合が多いです。

 

つまり、マニュアルにあてはめるための「こじつけ」にエネルギーを使うことのないものだったら、思考整理のために利用する価値はあるかもしれませんね。

 

そもそもいい講師はむやみやたらに解法を法則化しません。

受験生としては、「マニュアルをたくさん教えてくれる人が、解法に研究熱心ないい先生だ」みたいな勘ちがいをしない方がいいと思いますよ。

 

それでは、また。

 

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