勉強を教える人間は どこまで高学歴であるべきか?
スポンサーリンク
こんにちは、今回は学習一般のテーマでいきます。
国語関連の記事を書いていると、他の教育関連ブログを拝見することも少なくありません。そんなとき「現役東大合格者が明かす~勉強法」とか「センター試験で○○点取った受験生が明かす~」みたいなタイトルがわんさか出てきます。
僕は学習塾にいたくせに、学歴と点数を看板にするのがあんまり好きではなかったので、このブログでもあえて表には出していません。この前センター試験を解いたときに自分の点数を記事に出したことがあるくらいです。
でも、塾をはじめとする学習支援業界で、教える人間の学歴を気にするのは無理もないことです。僕も保護者の方に自分の出身大学を聞かれたことがありますし、ときには「東大出身ではない」という理由で、「申し訳ないが、他の先生にしてくれ。」といわれたこともあります(苦笑)。
確かに教える人間に受験の成功経験がないのは、保護者としては不安でしょう。その意味で学歴が全く不要とまでは思いません。しかし実質的な教育効果を考えると、学歴はあくまで「看板」にすぎないので、そこにこだわりすぎてもおかしなことになってしまいます。
そこで、教える人間の学歴について、僕なりの「落としどころ」を述べてみたいと思います。
- 1 通常レベルの高校入試なら必ずしも高学歴の先生である必要はない
- 2 大学受験になると教える人間の学歴には一定の意味がある
- 3 勉強するのは受験生自身ですからね?
- 4 東大出身の先生にも「はずれ」はある
- 5 成功理由を客観的に考えられる先生がいい
- 6 まとめ
1 通常レベルの高校入試なら必ずしも高学歴の先生である必要はない
開成等の難関校はともかく、大多数の中学生が受けるようなレベルの高校ならば、必ずしも高学歴である必要はありません。むしろあまり高学歴過ぎて一般レベルの中学生の気持ちが分からないような人に教わると悲劇です(まともな塾ならそんなことはないでしょうけど)。
この年頃の生徒は、先生の好き嫌いが成績に大きく影響しますので、子供とのコミュ二ケーションが取れているかとか、授業が楽しいと思えているかを重視した方がいいでしょう。
勉強のモチベーションさえ上げられる先生なら、特に有名大学出身である必要はないと個人的には考えます。
2 大学受験になると教える人間の学歴には一定の意味がある
しかし大学受験になると、「学歴」をモチベーションにして勉強するケースが多くなります。その是非はともかく、一般に最終学歴がかかることの多い試験ですから、心情的にはやむを得ないことだと思います。
そうなると、受験生は教える人間の「学歴」をモチベーションのよりどころにする傾向がでてきます。特に自分の目指す大学が決まっている場合には、その大学以上のレベルの学歴を持つ人間に教わったほうが「安心」するでしょうね。
たとえば、早稲田大学に行きたい人ならば、早大出身の先生の教わった方が、その大学の思い出話などがきけてそれがモチベーションになったりします。
3 勉強するのは受験生自身ですからね?
しかし中には、先生の学歴を気にしすぎて、「講師の評論家」みたいになってしまう受験生がいます。これは間違いですよ?
塾などの授業は、教える人間の頭の良さをそっくりそのまま受験生に移し替えるものではありません。あくまで教わる内容をヒントに自分で合格する思考形態を作り上げていく必要があります。それは知識やテクニックだけでなく体調管理や精神ケアなども含みます。合格する自分を作るのは自分なんです。
塾などの授業は、その受験生自身の営みを続けるためのきっかけにすぎません。
先生の学歴は、モチベーションの一つにはなりますが、それ以上の期待をするのは他力本願にすぎると思いますよ。
4 東大出身の先生にも「はずれ」はある
教わる人間の学歴をモチベーションにしたいなら東大出身なら文句なしです。
しかし経験上、どうも東大出身の先生には当りはずれが大きい印象がありますね。「高学歴の先生が素晴らしい先生とは限らない」という一般論にも通じる話ですので、ちょっとここで記しておきます。
僕が学習塾にいた頃、現役東大生が個別指導で高校3年生を担当することになりました。しかしどうもその生徒はこの先生とウマが合わない。
事情を聞いてみると、その先生は「六大学程度なら努力でどうにでもなる」という精神論で話を進める傾向があるみたいです。しかも、自分が成功したせいか、持論に絶対の自信を持っている様子。
なるほど、その先生はそのように自分を奮い立たせて東大に合格したのでしょう。しかしこれだけでは、生徒からすると、「じゃあ自分は努力が足りないナマケモノってことね?」といういじけた気持ちになりかねないのです。
優秀な(特に教え慣れてない大学生の)先生は、勢いこそあるかもしれませんが、独りよがりな精神論・努力論になりがちです。もちろんそこから合格のための勢いみたいなものを感じ取ってくれればしめたものですが、そうとも限らない。下手をすると、上から目線の演説みたいになって生徒と気持ちが離れてしまいかねません。
5 成功理由を客観的に考えられる先生がいい
もちろん東大出身で素晴らしい先生はたくさんいます。
やっぱり受験の最高峰に達した人にしかわからないものを持っているのは確かですので、その力量と教えるスキルが噛みあえば、いい先生になるのは当たり前。
では、どういう先生がそういう素晴らしい先生なのかというと、その自分の成功を客観的に分析できる人ということなんだと思います。
なぜこの問題が解けたのかを自分の勉強法にさかのぼって、冷徹に考えられる力がないと、ダメなんですね。もちろん生徒の側にも努力は必要なんですけど、教える側も、単に「努力が大事」というのではなく、なぜ自分が努力を続けられたのかを考えてみるのが大事。
そういう自己分析が長けている人は、教え上手な傾向にありますね。
受験指導で有名な和田秀樹氏も、精神科医だけあって成功する人の分析がすごく丁寧です。ちなみに成功体験を客観視する必要性はこの本を読んで学びました。
6 まとめ
つまり、勉強を教える人間の学歴については
・生徒のモチベーションのきっかけとして役に立つ場合もある
・しかしそれは「看板」にすぎず、結局は成功体験を客観的に分析して相手のニーズに合わせて伝える能力が必要
ということなんだと思います。
「学歴によりかかってはいけない」なんて当然の話ですけど、受験業界だと学歴を看板にする傾向にあるので、どうしてもそのことを忘れてしまいがちです。
学歴という看板の捉え方を間違えると、勉強を教える人間、保護者、そして何より生徒が不幸になります。ぼくはそんな難しさを感じているので、そもそも「看板」を出していないのです。
それでは、また。