こくごな生活

国語や法律のソフトな考察を中心とした日常雑記録

神経胃弱症で食が細いと宴の場が「拷問」になる件~飲み食い以外で人は繋がれないのだろうか?~

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こんにちは、ご訪問ありがとうございます。

 

今回は国語の話を少し脱線して日常の話です。

年末年始ということで宴会が多くなりシーズンなので、このテーマを取り上げます。

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こんな楽しそうな画が浮かびますが・・。

 

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僕は、宴会が大っ嫌いなのです

 

宴会が嫌いな理由は人それぞれですが、僕の場合はそもそも飲み食いが苦手

僕は子供のころから少食で、塩むすびと糠漬けみたいな食事を1日2回ほどすれば十分な人間です。それ以上食べようとすると、胃がこわばって気持ち悪くなってくることもあります。無理に食べると4,5日は胃がおかしくなる。しかもアルコールも苦手なので、そもそも飲み食いで場をつなぐということが非常に難しいのです。

 

学生時代に夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだとき、神経胃弱症の教師である苦沙弥先生の存在を知ったとき、自分はこの人の生まれ変わりなのではないかと本気で思ったくらいです。

 

吾輩は猫である

吾輩は猫である

 

 今回は、現代版神経胃弱症の国語講師であった私が、この宴会の類にみられる「飲食に基づくコミュニケーションの闇」に迫ってみたいと思います。

 

 

1 僕にとって食事は「叱られる」場

① 子供時代

 

よくマンガなどで、給食の時間を楽しみにしている腹ペコ主人公が登場する場面がありますが、僕は子供のころからそのような気持ちが理解できませんでした。

 

僕は給食の時間が一番嫌いだったからです。

 

当時はまだ「給食を残すのは怪しからん」という価値観が今よりも強い時代だったので、僕みたいな人間には厳しく当たる先生もいました。

 

食べたくても食べられない人もいるのに・・

男らしくない

どうせ甘やかされて育ったんだろう

 

心にグサグサ刺さる言葉を浴びながら、こみ上げてくるものをこらえながら残りの食べ物と格闘する・・もう地獄そのものでしたね。

 

流石にこのまま大人になるのはまずい、ということで高校時代にちょっと厳しめの運動部に入って体と胃腸を鍛えることにしました。その甲斐あってか、少しだけましな食事ができるようになりましたが、やっぱり少食の女性並みの量しか体が受け付けません。

 

② 大人になって

飲食ができないというのは、健康上の問題もさることながら、コミュニケーションにおいてひどく不利です。特に社会人になって宴会などの席で飲食ができないと、

 

ノリが悪い

バイタリティがない

つまらない奴

 

というレッテルを張られかねません。というか、僕は食事になると緊張でテンションが低くなるので、そう思われていた可能性が十分にあります。実際に、若いときはよく叱られてましたしね・・。

 

まあ、幸い現在の僕の仕事は性質上、そこまで重たい飲食の付き合いは求められせんし、若くなくなってくると「食が細くなった」と言いわけ(?)がきくようになりました。しかし宴会等の飲食が人並みにできないのは、おそらくこれからずっと付き合っていかなくてはならない僕の課題だと思っています。

 

  少食人間の孤独

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巷ではダイエットに代表されるように、食べたい欲求を抑える方向の情報が蔓延しています。しかし「食べられない」という悩みに関する情報はまだまだ少ない。ちなみに「少食」に関するブログを検索してみると、断食による健康法などの美容・健康関係の記事が多く出てきます。そういうんじゃないんだって。

 

これはおそらくダイエットと比べて「食べられない」という課題について多数派がシビアに考えた経験がないからなんだと思います。今のご時世、肥満で悩んでいる人に、「喰わなきゃいいだろ」で済ませたりしないですよね。しかし少食人間に対する多数派の態度はそれぐらいぶっきらぼうなことが珍しくないんです。

 

太らないから羨ましい

無理して喰えば胃が大きくなる

 

みたいな感じですね。ごもっともな面もあるけど、往々にして共感を伴わない冷たいご意見が多い。 

 

3 じゃあどうすればいい?

① 個人レベルの努力

こんな「食べられない」僕ですが、実はモリモリ食べてバリバリ働く男には「あこがれ」ています。食べ物も粗末にするのは嫌いなので、残すのを減らす意味でも、人並の飲食ができるようになりたいという気持ちは今でも消えません。

 

そんな僕のような人間に、相応しい本を最近見つけました。

 

 人前で同じものを飲み食いしなくてはならないときに感じる「恐怖」みたいな症状が、僕と本当によく似ています。これを読んだとき「やはり同じような人が存在するんだ」と少し救われた思いがしますね。

 

これを読んでみても分かるように、僕みたいな人間は

・みんなと飲食すること「逃げる」のではなく「少しずつ」克服する

・食事を楽しむ経験を増やす

ということが大事なんだと思います。

 

特に僕の場合、飲食に関して「叱られる」「無理に食べる」ことが多かった分、楽しむという経験がえらく少ないです。

楽しむためには食についてもっと興味を持つこと。そう考えた僕は、思いきって食〇ログのレビュアーになって記事を書きまくっていたときがありました。

「食べられない」僕が飲食についての記事を書くのも奇妙ですが、そんな僕の記事がムック本に紹介されてしまったというのもおかしなもんです。

 

 

おかげで僕はインドカレーというジャンルに目覚め、食に対する話題が少し増えました。食について興味を持つことで食事に対する悪い印象を減らすことができたという意味では、こんなレビュー活動もいい経験だったと思います。

 

こんなポジティブな気持ちを持ちつつ、宴会などの会食にもできるだけ逃げずに付き合っていくことが、僕なりの現時点での対応策です。

 

ちなみに、それでも胃が動かないとか、食欲不振だという症状が出たときには、こんな薬がわりときくので紹介しておきます。前述の苦沙弥先生もこの薬は気に入っていただけるはず。

 

【第2類医薬品】太田漢方胃腸薬II<錠剤> 108錠

【第2類医薬品】太田漢方胃腸薬II<錠剤> 108錠

 

 

 ② 社会レベルでは

とはいえ、欲を言えば、もう少し社会の方でも少食の人間に対する配慮をして頂けるのが理想なんですね。

 

これだけ価値の多様化が進んだ現代で、そもそも同じものを同じだけ飲食しなくてはならない、という風潮が未だに強いのが奇異なことです。

そしてそんな飲食に嫌々着き合って、メタボになったから今度はダイエット、なんて本当に理不尽。そんな思いをしなくては連帯感は生まれないのか?

 

今でこそ、アレルギーなどが注目されて、食事に関する個性が注目されてきました。

しかし逆にいうと、そんな明確な症状が出ない限り、逃れることが難しい同調圧力みたいなものがまだまだ飲食にはあるような気がします(というといいすぎかな)。

 

もちろん食事には、栄養面や体力づくりの面で、「矯正」が必要になる場合もあるでしょうが、基本的には飲食でもっと個人差を認める柔軟さがあれば、僕みたいに食事に対する恐怖を抱く人が減っていく気がします。

 

 

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