こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

この答案を「天才的発想」と評価するのは危険だと思う~子供の「独創性」と「勘ちがい」の狭間~

こんにちは。ご訪問ありがとうございます。

 

さて、先日ネットで国語の問題に関する記事をあさっていると、こんな記事を見つけました。otakei.otakuma.net

 

この記事の内容をザックリみてみましょう。

 

これが問題となった「ある小学生の答案」です。

f:id:bigwestern:20181222220051j:plain

 

ひらがなで書かれた月日を漢字に直す試験です。

この問題で、この小学生は問題文に書かれた月日の「つぎの」日を漢字で表記しています。①の問題でいうと、「さんがつ みっか」の次の日は「さんがつ よっか」ですから、彼(女)は「三月四日」と答えたわけです。

 

これに対して、

「子供ならではの柔軟な発想だ」

「正解でいいじゃないか」

といった旨のコメントが多く寄せられたようです。

 

これの問題に関しては、賛否両論あるでしょう。

しかし、この子には気の毒ですが、僕もこの答案は不正解にします。しかも「本当は正解にしたいけど・・」という気もおきません

 

それは、なぜか?

問題文を正しく読めば、こういう解答はあり得ないからです。小学校低学年の子供には厳しい要求かもしれませんが、この問題を正解としてしまうと、子供に対して、「試験では知識が分かってさえいればいい」という誤解を刷り込ませてしまう危険があるので、それはできません。

 

もう少し説明しましょう。

 

まず、この問題文を正しく読むと、そのメインとなる内容(目的語と動詞)は、「ひらがなを かん字になお」すことです。①の問題でいうと、漢字に直すべき「ひらがな」は「さんがつ みっか」しか書かれていないんです

 

ところが解答者は、漢字に直すべき「ひらがな」の存在を無視して、問題文の「つぎの」「日づけ」というキーワードだけで問題を読みかえてしまったわけです。

 

もしもこの問題文が「つぎの 日づけを かん字に なおしましょう」ならば、この生徒のように解答する余地はありますが、今回の場合は、生徒の自己判断による問題文の「読み替え」、もっと平たく言うとただの「勘ちがい」です。

 

さて、この「読みかえ」をどう評価すべきでしょう?

「柔軟な独創性」でしょうか?僕は違うと思いますよ。

なぜなら、今回の場合、「与えられたひらがな」を漢字に直すという注文が出ているからです。相手の要求を無視するのは独創性ではありません。独創性にしろ柔軟性にしろ、相手のメッセージを踏まえて初めて意味があります。

 

国語に限らず、試験は問題に関する知識を知ってさえいればいいというものではありません。相手の要求を踏まえ、それに適する形を仕上げるという力も見られています。その意味で、「適する形」に仕上げられなかったこの子の答案は、やはり不正解なのです。

 

もちろん僕だって、小さい子にそんな理屈を振り回して不正解を責め立てるようなことはするべきではないと思っています。この問題文自体「つぎの」がどこにかかるかわかりづらいなど、少し表現上の問題もありますからね。

 

しかし、少なくとも周りの大人たちはこの答案を軽はずみに誉めるべきではありません。自分では正しいつもりだったのに、相手の要求とは違ったから評価されなかった、なんていう経験は誰でも持っているはず。この解答を誉めると、その相手の要求を読み取るという大切な学習効果を軽視してしまうことになりかねないと思うんです。

 

僕としては、この解答者に対しては、日時の漢字を正しく書けていること自体は大いに評価します。しかし「この問題の解答としては」やはり不正解なんだよ、といわざるを得ません。

 

こんなことを言うと理屈っぽい嫌なやつに聞こえるかもしれません。

しかし国語講師は、場合によっては、「自由な感性」といわれるものを軌道修正すべく嫌われ役をやらなくてはならないこともあると思っているので、あえて記事にしてみました。

 

皆さんはこの答案、どう思いますか?