こくごな生活

国語講師だったひとのつぶやき集

ブログはオワコンという話を 国語的に考察する

今回はブログがオワコンになるというお話です。

 

ブログといえば、有名ブロガーのイケダハヤト氏を思い浮かべる人も多いでしょう。

ところがブログで大成功したイケダハヤト氏ですらこんなことを言っています。

 

プロロガーが解説!ブログがオワコンである5つの理由。

 

ざっくり要約すると

・ブログのような活字コンテンツは情報取得の効率が悪いので、youtubeなどの動画サイトやTwitterなどのプラットフォーム化されたものに淘汰される

・活字コンテンツ自体は残るとしても、SEO対策で収入を得るなどの従来のブロガーのやり方は通用しなくなる

みたいな内容ですね。

 

ブログで収入を得ている人からすると、なんとも不安な内容ですが、上記の話は何もイケダハヤト氏だけがいっているわけではありません。

たとえばこの本でも同じような言及がされています。

 

この本では、「10年後にはブロガーはおろか、ユーチューバ―すら喰えなくなる」と、さらに進んだことを言っています。

 

つまり、 イケダハヤト氏にしろ岡田斗司夫氏にしろ、

5年後10年後にはブログは古いコンテンツになるぞ

といっているわけです。

 

これは、僕も概ね正しい現状分析だと思ってます。

僕みたいなアナログ人間ですらこうしてブログをやっているということは、ブログ自体、すでに相当社会の末端まで浸透しているコンテンツなんです。そんなブログ活動が10年先も同じように続くはずがありません。

 

では、その古いコンテンツとなっていくブログとどう付き合っていくべきか?

今回は「国語」の目線から考えてみたいと思います。

 

 

 

 

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1 活字は面倒くさい

これは国語を生業にしている人からすると「けしからん」発言かもしれません。でも、実際に否定できる人はどれくらいいるでしょう?

 

活字を読むというのは、かなり能動的でエネルギーを使う行為です。

一方、動画は視覚や聴覚などを通して「むこうから」訴えかけてくれますから、受動的な情報獲得手段ですね。

例えば、ボーっとしながらテレビ見ることはできますが、ボーっと本を読むのは難しいです。

 

つまり情報を獲得する、または楽しい思いをするというだけなら、活字ではない方が圧倒的にラクなんです。子供たちはゲームやテレビは言われなくても親しみますが、読書はそうでもない、というのはある意味、本能的で正直ですよ。

 

そんな子供の傾向を象徴するのが、2018年4月に日本FP協会が発表した「小学生のなりたい職業」ランキングの男子部門

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ユーチューバ―が6位ですよ。

もちろん小学生の職業観は感覚的で抽象的なものですが、その分本能的な気持ちが出やすいので、これは注目に値します。こどもはYouTub等の動画には親しみがあるということが分かりますね。

 

しかしブロガーになりたいという子供は見当たりません

実際にはユーチューバ―よりもブロガーの方が遥かに多いはずです。ユーチューバ―になるには機材を集めて、多くの時間を費やして動画編集をして・・など、ブログを書くより手間のかかることが多いので、仮にネットを使ってお小遣いを稼ぐということを考えるなら、ブロガーの方が取っつき易いはず。

 

でも、見る側からすると逆なんですよ。

小学生の直感的な感性からすると、ブログのような活字よりもYouTubeのような動画の方が訴えかけるものがあるんでしょうね。

 

「活字の訴求力の弱さ」という話は、なにも小学生に限ったことではありません。

 

例えば国語の読解に悩んでいる生徒がいたとして、長文読解の方法について知りたいとします。そんなとき巷にある参考書と有名講師による講義の動画だったら、どっちをいらびますか?

 

僕が生徒なら断然、後者です(実際には参考書も併用するでしょうけど)。

講義なら視覚や聴覚に訴えることができるので、印象に残りやすいですし、教える方からしてもメッセージが伝えやすいです。僕も、こうして記事を書いているとき、講義ならもう少し突っ込んだことが言えるのに・・と「もどかしく」なる時がありますよ。

 

巷にこれだけ参考書が溢れているにもかかわらず、塾などの講義形態が廃れないのは、それだけ活字によるメッセージに限界があるということなんです。逆にいうと、将来的にスマホアプリなどで名講義をきく手段がさらに浸透すれば、参考書などの活字コンテンツはさらに廃れていくでしょう。僕のブログなんて、それこそオワコンの典型みたいなもの。

  

このように効率よく情報を取得したいと考えている人にとって、活字をめんどくさいと感じるのは、厳然たる事実です。それを無視して「活字に親しむ大切さ」を説いても的外れで独りよがりな説法になりがちなので、そこは国語を教える立場からすると気を付けなくてはならないと思っています。

 

2 それでも活字のブログに意味があるわけ

 活字を使ったブログについてネガティヴな話が続きましたが、もちろんブログそのものがなくなるわけではありません。

 

子供たちだって、自分の好きな有名人のブログはチェックしている人が少なくありません。活字が嫌いで国語が得意ではないという子も然り。これは何故でしょう?

 

それは、その人のことを知りたいと思っているから。

そういう興味があるからこそ、文字を追って表現者の考えを味わうことに喜びを感じるわけですね。情報の受け手に好奇心さえあれば、活字を読むという能動的な行為も苦ではなくなるんです

 

これは国語の勉強にも当てはまります。

国語が嫌いで興味がない生徒に、いきなり参考書を渡してこれを完ぺきにすれば成績が上がるから頑張れ、といってもおそらく難しい。こういう子は、一冊の活字本を吸収するほどの能動的な気持ちになれないからです。だから講義などでの「ナビゲート」が必要になります。

 

逆にいうと、国語について好奇心のある人は、自分から進んで国語的な活字に触れます。そういう場合にはむしろ活字の方が都合がいい場合も多い。

伝える側からすると活字は動画作成などよりラクな分、こまめに情報を発信できるし、情報を受ける側からしても、「保存のきく」活字の形で内容をこまめに残してくれるので都合がいいわけです。

 

こう考えると、ブログという手段はまさにうってつけです。

つまり、ブログは情報の受け手が受け身のときには弱いですが、能動的なときにはまだまだ有益なツールとして機能するんだと思います

 

ちなみに、上記の岡田氏の本では、昭和の情報コンテンツと現在のネットコンテンツを以下のように対応させています。

 

固定の読者層に「論じる」コンテンツである新聞 ⇒ ブログ    

リアルタイムの情報の聞き流しであるラジオ ⇒ Twitter   

映像による受動的な情報享受手段であるテレビ ⇒ YouTube

 

みんなテレビをよく見ているのに、新聞が廃れないのと同様に、ブログも、活字を追うことを厭わない能動的な「読者」によって、これからも存続していくでしょう。

 

3 ではブロガーはどうすればいいのか?

このように、活字を追うほど能動的ではない人は、これからどんどんブログを読まなくなっていくことが予想されます。

 

ではブロガーとしてはどうすればいいかというと、

・少数になっていくかもしれないけどそのテーマに興味のある人に対象を絞って記事を発信していく

・情報に受動的な人のためにブログ以外の手段でどんどん情報を発信し、より広い層に興味を持ってもらうことで自分からブログの世界に引き込んでいく

ということだと思うんです。

 

ある程度の人に読んでもらえればいい、というのであれば前者で十分です。僕もこういうスタイルでブログを書いてますし、おそらくこっちの方が多数派じゃないかな。

 

しかし、本格派のブロガーはすでに後者の手段をとっています。イケダハヤト氏だって、自らがインフルエンサーになって、「イケダハヤト」というキャラに興味を持たせ

 て、結果的にブログの世界に引き込んでいるという側面があります。かくいう僕も彼のキャラを知ってからそのブログを閲覧するという順序でした。

 

僕はそれほど熱心なブロガーじゃないから、他のコンテンツを駆使することなく、細々とやっています。

ただ、このブログの場合、国語嫌いな人のために記事を書くことも多いのです。そうなると、活字が嫌いな人に対して活字でメッセージを送るという自己矛盾が生じてしまうので、その点は自分としても引け目を感じています。本当に多くの人に伝えたいことがあるなら、自分からコンテンツ利用の仕方を工夫しなくてはならないんでしょうね・・。

 

ブログについて語っているうちに自分の反省点も見えてきてしまいましたw

 

何やら長文になってしまいましたが、ここまでお付き合いくださってありがとうございました。